朝の大日堂
| 仙元尾根から望む有間山
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おそらくこの冬になってから最も寒い朝だったと思う。
タクシーをおり、風よけのアウターを脱いで、大日堂裏から尾根にとりつく。
最初はすごい急登だが、ジグザグに登っていくので、さほど苦しくはない。
尾根に出るころには体も暖まり、順調に登っていく。
展望のよい新秩父線57号鉄塔で最初の小休止。
風は少々強いが、一点の雲もない快晴だ。
右前方に、鋭角的な三ツドッケが意外に近く見えるが、先はまだ、長い。
有間山もよく見えているのだが、ここから見るかぎり、平凡な山容だ。
尾根の西側のトラバースは、かなり苦しいという印象があったのだが、今回は若い人がゆっくり行ってくれたので、とてもラクに登ることができた。
植林地の多くは手入れがほとんどされていないのだが、明治神宮の看板のある区間だけは、よく手が入っていた。
数年前は整備されたばかりで歩きやすかった仙元尾根だが、当時に比べるとやや荒れてきていると思われた。
大楢で、二度目の小休止をとるとまもなく、急な登りとなる。
雪も出てきて、前の方から「怖いよー」という声も聞こえた。
初心者にとって、積雪のある山を登るのは初めてだったから無理もないが、すぐに慣れただろう。
枯れたスズタケの中を登りつめると、約一年ぶりの仙元峠に着いた。
このピークは「峠」でなく、「ドッケ」のはずだと私は考えているが、ピークには「多摩と秩父を結ぶ唯一の峠」という説明板が建てられていた。
今では、国土地理院の地形図における、「仙元峠」の文字も、ピークでなく、ピーク西の鞍部に記載されている。
これは間違っているのだが、このまま固定されてしまいそうな気がする。困ったものだ。
ピークからは、樹林越しに富士山を眺めることができ、翌日が楽しみになった。
ところで、仙元峠のシンボルともいうべき、巨ブナが倒壊していたのには、驚いた。
初めてここを訪れた1989年には、まだまだ元気だった。
2008年に訪れたときには、大枝が折れて無残ではあったが、幹はまだ生きていた。
昨年、来たときにも、特に変わりはなかったのだが。
これで、仙元峠の、ひとつの時代が終わったような感じがした。
少しゆっくりしたのち、水源林道を一杯水へ向かう。
いつきても、ブナやミズナラの大木の多いここは、気持ちがよく、ピークはほぼ全て巻いていくので、幸福な感じで歩くことができる。
一杯水に着くと、いつも懸念する水場は、どなたかによって立派に改修されて、水はよく出ていた。
避難小屋には二人ほど、登山者の姿があったが、いずれ午後を回れば登山者が入ってくるものと思われたので、今回は最初から、小屋前に幕営することにした。
設営と米研ぎの後、同行者と三ツドッケまで散歩に行った。
風もやみ、相 変わらず快晴の空に、富士山の白さが眩しい。
三ツドッケの展望は、かつては東側と南側だけだったのだが、東南側のアセビが低く刈られて、有間山や武甲山までが一望できるようになっていた。
一杯水の小屋
| アズキナシ凍る
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どうにか食事を終えたのち、テントに入った。
一昨年の鷹ノ巣山で、ひどく寒い思いをしたので、足先は入念に保温した。
上半身は羽毛服を着ていたのでさほどでなかったが、下半身はモモヒキと登山ズボンだけだったので、少々寒かった。
とはいえ、眠れないほどではなく、まずまず快適な一夜を過ごすことができた。
夜の間、風の音も殆ど聞こえず、月明かりでほの明るかったが、外に出る気にはならず、朝までじっとしていた。
明け方、起床時刻ごろにトイレに出たときに、小屋外の寒暖計を見ると、氷点下7度だった。
耳の凍るような寒さより、うどん用の湯がなかなか沸かないことの方が、苦しかった。
カートリッジをずっと手で温めてやったが、うどん一杯食べ始めるまで、1時間近くかかったと思う。
予定では、6時15分くらいに出るはずだったが、かなり出遅れた。
ご来光は、いつも必ず見ることができるものではない。天気と幕営場所によっては、見たくても見ることができないのだが、今回に限って言えば、予定通りに行動できさえすれば、100パーセント見ることができるのである。
やや急(せ)きながら登って行くと、三ツドッケの最後の登りにかかったところで、背後から光がさした。
残念ながら、ご来光の瞬間を、見そびれてしまったのだった。
もっとも、到着したときには、日の出から2〜3分くらいだっただろうから、美しい日の出を見ることができたことには、感謝しなければならない。
ピンク色に染まる富士山や墨絵のような奥多摩・丹沢山塊も、美しかった。
東京都心のビルディングや、東京スカイツリーもよく見えた。
陽が昇ってくると、東京湾に反射するオレンジ色の光が大きかった。
眺めを楽しんだのち、小屋前に戻り、軽アイゼンをつけて有間山への縦走に出発した。
最初は来た道を戻るのだが、足元はいちだんと固く凍っていた。
最初は蕎麦粒山で小休止。
三ツドッケから望む富士山(大きな写真)
| 再び水源林道へ
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ここへは、いろんなルートで来たことがある。
最初は、今回の逆コース。鳥首峠から有間山を越えて仙元峠から大日堂まで、一日で歩いた。
二回目は、奥多摩の古里駅から川苔山に登り、蕎麦粒山・仙元峠を経て大日堂へ下山した。これも日帰りだった。
三回目は三年前で、今回と同じコースで登ってきて、蕎麦粒山へ道草をしてから一杯水に行って泊まり、武州中川駅へ下山した。
四回目は去年で、小雨模様の中、広河原谷から鉄塔巡視のためのヤブ道を通って直接、蕎麦粒山へ登りついた。
蕎麦粒山から都心遠望(大きな写真)
| 造林地から三ツドッケを振り返る
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すっかり明るくなったが、防火帯として伐り開かれている東京方面はよく見えていた。
ここからは、広い防火帯の登り下りで、石尾根を思い出させる。
日向沢の頭北峰をゆるく下ると、いくらか心配していた有間山の分岐。
ここも首尾よく、北東へのヤブ道に入ることができた。
しばらく急降下すると、想定していた51号鉄塔に着いた。
ここからは東京方面・桂谷ノ頭・有間山・大持山などが一望できる。
いいところだが、勝手ながら送電線が目障りだ。
さらに下ると、林道が近づき、仁田山への登りになる。
ブナの若木が点々とする風情はよいが、枯れたスズタケがうるさいところだ。
ここは昨年、歩いたところである。
仁田山からの下りは、昔を思い出させるヤブ道で、ほどなく広河原逆川林道の有間峠。
昔は尾根遠し歩いたが、今、尾根道は見当たらない。
有間山へは、名栗側に少し行ったところからとりつくのだった。
ここから、登り下りの激しい有間山の通過である。
スズタケがおとなしくなる中、忠実に尾根を登降していく。
ペースがよいからさほど疲れないが、無理するとバテそうなところだ。
2時のバスに間に合うかどうかは怪しくなったが、タタラの頭で大休止。
展望は樹林越しだが、暖かな陽だまりだ。
さらに大きく下ると、ヤシンタイの頭の登りになる。
ここはかなり厳しいところだ。
白岩への廃道が下っているショウジクボの頭を過ぎると、滝入の頭への登りで、これが最後の急登になる。
尾根の西側では、大々的な造林が行われている真っ最中だった。
今年の春にヒノキ苗を植えた場所もあったが、滝入の頭前後では、皆伐した木を架線で土場まで集材しているところだった。
ワイヤがすぐそばを通るので注意すべきということと、思わぬ落石を起こすと下の方で集材中の方に迷惑をかけかねないので、ここは、かなり気を使って通過した。
伐採が終わるところからは、ひどい急下降になる。
雪はなくなるが、滑りやすいところだった。
奥秩父線21号鉄塔で最後の小休止。
ここへは、北アルプスの黒部川で発電された電気が流れてきているらしいから、すごい話だ。
静かな鳥首峠
| 冠岩の板碑群
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鳥首峠には小さな石祠が一つ。
かつて来たときには、カタクリのつぼみがたくさん出ていたが、今はどうだろうか。
あとは植林の中をどんどん下るだけだと思って油断していたら、ルートを間違えてしまった。
普通に気をつけて歩いていれば間違えるはずのないところだが、しばらく下ってからミスに気づいた。
冠岩集落の廃屋わきには、地蔵の石仏とともに、板碑がたくさんおかれていた。
板碑は、鎌倉時代から室町時代に作られた一種の塔で、お墓の機能も持っていた。
江戸時代には作られなくなったから、冠岩に板碑があるということは、室町時代ごろ、ここにかなり多くの、しかも豊かな人びとが暮らしていたこと意味する。
歴史を学ぶものには、とても興味をそそられる資料である。
冠岩先からは車道だが、谷底の道路だけに、陽がすぐに隠れてしまう。
大日堂のバス停に着いたのは14時半前だったので、16時のバスが来るまで、待ち時間が長かった。
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