角瀬からタクシーで羽衣へ。
運転手さんから今朝、数百人の大パーティが登っていったと言われた。
最初からなかなかの急登だ。
登山道は広く、スギ並木を縫って登っていく。
樹齢百年は超えると思われるなかなかの大木なのに、スギ並木はどこまでも続いていた。
スギ並木の中を登る
| 和光門
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登り下りの登山者のうち、ハイカーらしき人はごく少数で、ほぼ全て、靴まで白いスニーカーで決めた白装束のユニフォームをまとった参拝者だ。
ザックを背負っておらず、飲み物や身の回り品は胸にぶら下げたずだ袋に入れている。
小1時間で肝心坊を過ぎる。
七面山で坊とは、飲み物などを売っている休憩所のことだ。
さらに急登を続けていくと、上の方からスピーカーの音が聞こえてきた。
最初は、なんと言っているのかわからなかった。
竿竹売りの声色に似てるようでもあり、焼き芋屋さんにも似ていた。
最初は、山中のどこかにスピーカーが設置されているのかと思ったが、登っていくとスピーカーもどんどん登っていることがわかった。
肝心坊の上でスピーカーの集団に追いついてわかったのは、この人たちが集団参拝者でそろいのユニフォームをまとって、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とふた声ずつ唱えながら登っているということだった。
この大パーティは霊友会本部が組織したものらしく、登りで一緒になったのはほとんどが若い女性たちの集団だった。
年齢はおおむね、高校生から30代くらいまでか。
自分のクライアントとあまり変わらない雰囲気の女性たちだが、一人として文句を言ってる人がいない点は大違いだ。
道も広く、彼女たちが登るスピードはあまり速くないので、どんどん追い越すのだが、どこまで行っても人の列がとぎれない。
肝心坊の次の中適坊を過ぎても、この大集団を追い越すことはできなかった。
そうこうしているうちに、やはり若い男性中心の集団が下ってきた。
いかに広い登山道だとはいえ、歩きながらすれ違うのは困難だ。
女性たちと共に、立ち止まって下りパーティをよけたのだが、いい休憩になった。
27丁目という表示のところでようやく、霊友会登山隊から抜け出すことができ、マイペースで歩けるようになってほっとした。
女性たちは、こちらがどんどん登っていくと、同行者たちに「道をあけて下さい」と声をかけてくれる。
それはとてもありがたいのだが、こちらとしては足をゆるめるわけにはいかず、若い女性たちに見られると、多少の見栄もあって、どんどん登らざるを得ない。
おかげでバテバテだ。
晴雲坊を過ぎるとスギは少なくなってブナの原生林。
大木は少ないが、深山らしいところだ。
エゾハルゼミがけたたましく鳴いていた。
登り始めたときには晴れていたが、次第にガスが巻いてきたところで和光門。
美しく立派な山門なのだが、どういうわけか、注連縄が下がっている。
敬慎院
| 隋身門
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和光門をくぐるとお寺の境内らしくいちだんと広い参道になる。
登りつめたところに鐘楼があり、連打を禁ずという札が下がっていた。
前泊者が下り、この日の宿泊者がまだ到着していないので、境内は静寂そのものだった。
いくつかの建物が建ち並んでいたが、本堂らしき茅葺きのお堂がじつに美しかった。
こちらで手を合わせたのち、随身門へ登る。
この門もまた、すばらしい建築物だった。
随身門から少し登ったところにケーブル小屋。
軽トラックなども止まっていて、やや興ざめ。
道標に従ってカラマツ林に入る。
最初はゆるい登りだが、途中少し急になる。
腰を下ろすことなくずっと登ってきたので、大休止したいのだが、もう少しなので頑張って登った。
ガスのためナナイタガレは見えず。
ところどころで東側が開けるのだが、富士山も見えず。
櫛形山にちょっと雰囲気の似たシラビソの森を抜けると、小広く切り開かれた七面山の山頂。
ここでゆっくり休みたかったが、登山者を待っていたらしいウシアブの群が集まってきたので、早々に退散。
シラビソの森でアンズタケやドクベニタケの仲間を見た。
カラマツ林
| シラビソ林
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境内へ戻り、今度は北参道へ向かう。
こちらは軽トラックが通れそうな広い道だったので、ルートミスしたかと不安になったくらいだが、奥の院までは軽トラが入っているらしかった。
小さな神社の入口を過ぎたところに、大イチイ入口の道標。
もちろん、そちらへ入る。
イチイは、北参道から50メートルほど下った、谷状のところに立っていた。
周囲にはサワグルミが無数に芽生えているようなところだ。
樹の内部はウロになっているが、幹をまっすくに立てた、直径2メートルほどもある巨木だ。
ずっと以前に、会津の七ヶ岳で、根上がりのイチイの大木を見たことがあるのだが、それ以外にこの樹を見た記憶がない。
各地に分布しているとのことだが、それほど多く生えている樹ではあるまいに、どうしてこんなに大きくなったのだろう。
樹齢は不明だが、七面山の開基より古いのは間違いないだろう。
大したものである。
参道に戻り、奥の院へ。
お題目の声が大イチイまで聞こえていたのだが、女性たちがちょうど奥の院でくつろいでいるところだったので、ここでも休まずもうしばらく行った雨畑との分岐で大休止した。
この分岐付近はシロヤシオの群落らしいが、今は葉が茂るのみ。
このあたりから再びブナの森となる。
留守で戸締めになっている明浄坊を過ぎ、どんどん下るとこれまた留守の安住坊。
建物のすぐわきに巨トチが立っていた。
先日、小菅村の巨トチを見たばかりだが、いずれ劣らぬ大木だ。
小菅のトチは傾斜地に立っていて背がすらりと高いのに対し、こちらはほぼ平坦なところにあってずんぐりとした感じで、太い幹を何本も伸ばしている。
このトチは太さのわりには若々しく、枝先にはトチの実を鈴なりにつけていた。
その先、しばらくはブナ林もあるが、やがてスギ並木の急降下となる。
はるか下方に角瀬の集落が見え隠れする中、きびしい下りだった。
このところ連日、夕方になると激しい雷雨があるのだが、この日もごろごろと雷鳴が聞こえ始めた。
雷雨は勘弁だと思って急いで下ったらどうにか、降り出す前に自動車のところに戻ることができた。
ほぼずっとお題目を聞きながら歩いていたので、若い人々が唱えるお題目の合唱が、耳から離れない。
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