ワイマール共和国の成立から崩壊までをていねいにたどっている。名著。
ワイマール共和国が悪戦苦闘を続けた10数年のドイツ史は、無数の歴史的教訓に満ちている。
出発点はドイツ革命だった。
ロシアと国内状況は全く異なっていたとはいえ、同じ帝政・同じ後発帝国主義国という点で、ロシアで起きたような革命がドイツで起きないとは言えない時代だった。
敗戦という重く苦しい時代に政権を担ったのは、社会民主党だった。
ベルサイユ条約とその後の賠償は、ドイツ国民にのしかかり続けた。
ベルサイユ条約は理不尽だったが、不満を述べることは許されず、ドイツの再生のためには、それを受け入れ、ヨーロッパとともに生きる姿勢を示し続ける以外になかった。
そんな中でドイツ国民に選ばれた社会民主党は、概ね誠実に政権を担った。
ワイマール後期に、世界恐慌が勃発した。
ただでさえ苦しい財政・国家運営の中で、失業が激増した。
国民の不満の受け皿になったのはナチスなどの右派勢力と共産党だった。
ドイツ共産党はコミンテルンの手先で、現実をまともに分析して解決策を提示するのでなく、コミンテルンの言いなりに言を左右にする状態で、まともに政権を担える存在ではなかった。
ナチスは、ベルサイユ条約とワイマール体制の否定を掲げて、国民の鬱屈のはけ口となり、支持を伸ばした。
ナチスは危険な政党だったが、その危険性を徹底的に明らかにし、批判した政党はなかった。
共産党でさえ、ときにはナチスと共同行動をとった。
ヒトラーが権力を握ったのは半ば合法的だった。
彼は大統領から首相に指名されたのだったし、全権委任法は国会において採択されたものだった。
しかし彼は、突撃隊や親衛隊を使って脅迫的に主張を通した。
複数政党の共同行動を作り出すにはどういった姿勢が必要か、暴力や謀略にどのような姿勢で対峙しなければならないかなど、重要なヒントがここには記されている。