日中戦争から敗戦に至る時期に、朝鮮半島において半強制的に労働者を連行して働かせた事実がある。
近年、マスコミにおいて「徴用工」という用語が使われているが、朝鮮人が半強制的に連行されるようになったのは、国民徴用令が朝鮮人に適用されるようになった1944年以前だった。
朝鮮人労働者の日本への連れ出しが最初から全て拉致同然だったというわけではないが、程度の差はあれ強制的だったことは事実で、日本の戦況の悪化とともに、連れ出しの暴力性は著しくなった。
敗戦の直前には、事実上の「人間狩り」といえるような行為がなされていた。
労働環境はもちろん劣悪で、彼らの多くが炭鉱で使役され、事実上の監禁状態におかれたが、飯場から逃亡する人が多かった。
無給ではなかったが、強制貯金等により正当な給与を受け取ることができなかったため、朝鮮に残してきた家族に送金することもままならず、家族の生活も破綻した。
さらに、日本語の不自由な彼らは日本の一般社会で受け入れられず、警戒・迫害された。
これが朝鮮人強制連行だった。
日本国内でも、「徴用」は行われた。
しかし、日本人に対しては、その殆どが炭鉱に送られるということはなく、拉致同然の暴力的な強制は行われず、労働の対価や家族への手当もなされた点で、朝鮮人に対するのとは全く異なる対応がなされている。
今、技能実習生など、多様な形で多くの外国人が働くようになった。
これらの外国人労働者に対し、日本の労働法制に違反して働かせている事業所が7割にのぼるという報道もあった。
戦争中とほとんど異ならない外国人(アジア人)観を、列島民たちはいつになったら克服することができるのだろうか。