白土三平氏の伝記。
雄大なスケールを持つ白土三平氏の作品群の背景に迫ろうとしている。
白戸氏は、『戦争と平和』や『静かなドン』のスケールの大きさに学んだと述べているらしい。
それは要するに、歴史はどのような人々のどのような営為によって担われ、変革されるのかという巨大なテーマをドラマ化するという、とてつもない構想力によって『カムイ伝』を始めとする作品が描かれたということだろう。
著者は、その根底には、白戸氏幼少期の「食べる」体験があると考えておられる。
人間の食べる営為は生命を維持する基本だがそもそも、買って食べるのでなく、とって食べ、育てて食べるのが基本だった。
白戸氏の長編には、とって食べる人々や食べ物を育てる人々が頻出する。それが社会を成り立たせる基本だと、考えておられたからだろう。
白戸氏の長編は雄大なドラマであるが、ハッピーエンドは決して訪れない。だいたい、ハッピーな場面自体、ほとんどない。
今までの歴史にハッピーエンドはなかったし、歴史を生きた人びとにハッピーな瞬間など多くなく、無残で酷薄な人生が久しく続くのが現実だった。
無残かつ酷薄でない人生など嘘っぱちだと、白戸氏は言われているようだ。
日本列島の暮らしは常に、山や海とともにあった。
『カムイ伝』や『忍者武芸帳』は山村が主たる舞台になっているが、食という点では、山より海の暮らしの方がはるかに豊富だったと思われる。
白戸氏は、内房の暮らしを学ぶ中で、列島民の暮らしの現実をさらに深く見つめられたと思われる。
『カムイ伝』に通じる世界は例えば、深沢七郎の『笛吹川』に描かれる世界である。
これが現実というものである。