自由民権運動に対し、明治政府は集会条例や新聞紙条例により、徹底的な弾圧を加えた。
自由や人権を保障するため国会開設や憲法制定を求める合法運動は、ありとあらゆるやり方で封じられた。
だから、自由・人権を実現する活動は、非合法活動たらざるを得なかった。それが「激化」事件だった。
合法活動が不可能なとき、社会を改善するための運動は非合法活動に向かわざるを得ないのであって、歴史とはそのようなものであり、権力者がしばしば歴史を偽造するのは、そのときには非合法だった活動を後になって合理化するためである。
自由民権運動を合法的な言論運動に限定する学説があるが、自由党や改進党指導層の言論・組織戦と、地域の現実の中で闘おうとしていた人々を統一的にみていかなければ、時代像をトータルに捉えることはできないだろう。
本書は、明治15年から17年にかけての時期において闘われた、福島・喜多方事件、群馬事件、加波山事件、秩父事件を運動全体の中に位置づけようとしている。
福島・喜多方事件は自由党つぶしのための、権力側によるフレームアップという側面が強いが、群馬・加波山・秩父の各事件は、政府転覆のための自由党による武力闘争だった。
群馬事件と秩父事件は、自由党と負債民が結びつき、債主の懲罰と武力蜂起による政府転覆という同一の方向性を持つ闘いだった。
加波山事件も基本的にはそのような方向性を持つが、民衆を組織する活動は極めてずさんで、顕官暗殺をも視野に入れた闘いだった点で、性質をやや異にする。
この当時の自由党本部は表向き、負債民との協同などには、無関心を装っていた。
自由党員の多くは実際、負債民など、ともに天下国家を語るに足りる存在とは思っていなかった。
群馬事件や秩父事件のような、武装蜂起・政府転覆という闘いは、党本部にあって主流でなかったから、『自由党史』にあってもこれらの闘いは不当な低評価を与えられている。
しかし、当時の民衆が命をかけてでも「自由」を獲得したいと思ったその思いを歴史の中からすくいあげねば、闘った人々の情熱や犠牲は、無に帰してしまう。
無名の民衆のそのような情念をくっきりと描き出したのは、色川大吉氏の作品群だった。
歴史が読む人の心に訴えるのは、登場人物の心情にふれることができるからである。
思い込みや主観的な解釈を排しつつ、ひとつひとつの史実を掘り起こし、それら相互の関係性を追究していく作業が求められるし、それはやりがいのある仕事だと思われる。
貸借関係を始めとする近代的な制度に対し、民衆が違和感を表明したものであるというのが、困民党事件に関する主流的な見解かと思われる。
近代的なものに対する違和感が存在したことは否定できないだろう。
しかしそれは、民衆だけでなく、富裕層や特権層にも言えることである。
近代か前近代かを問わず、民衆運動が命を賭して闘われることがしばしば起きる。
それらの闘いの質を問うことが必要だ。
仁政要求が基本なら近世的な運動だし、国家のあり方を問うならば近代的な運動と言える。
国家のあり方を問題にし、国家のあり方を変えようとする革命運動は、近代に特有の運動である。
この運動をなんと呼ぶか、歴史家たちは答えていない。
自由民権運動は国会開設・憲法制定を求める運動と限定的に定義するなら、激化諸事件の多くは、自由民権運動とは異質の闘いと言わねばならない。
歴史家は自己満足のために研究するのでなく、国民の歴史認識に何らかの寄与をすることが、歴史の目的だろう。
地域における生活の現実から国家変革をも展望した民衆の闘いを定義することができない歴史研究に、意味を見出すことは困難である。