歴史的な記憶の文化はどのようにすれば実現されるか。
ドイツで行われている広義の歴史教育を紹介している。
記憶することが苦痛であるのは、その記憶が屈辱的だったり、加害の記憶だったりする場合だろう。
「日本」では、敗北や加害の記憶を忘れようとする言説がむしろ主流である。
ドイツで「記憶する文化」が形成し始めたのは1968年ころからだという。
その時期「日本」でも、深く考えようとするムーブメントが起きていた。
ただ「日本」の場合、実力行使という華々しい現象は起きたものの、思考を止めずに議論し続ける「文化」に昇華することができなかった。
この時代を象徴する活動家だった山本義隆氏の当時の所論は、激しい自己否定を一つの特徴としているように見える。
しかし、いかなる思考も、どのようにすれば共同が可能かを探るものでなければ意味がない。
自己否定は他者を肯定することにつながらない。
他者(相手)は自分より考えが浅いと考えるから論争が成立する。
自己を否定するとき、自分より考え足らずと思われる他者を肯定などできるわけがない。
自己否定の彼方に、共同はありえない。
著者が口酸っぱく強調されているのは、ドイツにおいては、「民主主義の価値と理念をしっかりと学ぶこと」「批判精神を持って問いかけることで歴史を理解すること」「寛容の精神で異なる意見に耳を傾け、異なる文化を理解すること」である。
「日本」の教育にこれらの点がすっぽりと欠落していた(自分の行ってきた教育を含む)のは、事実である。
ここから始めなければならなかったことに今気づいたのでは、(教師人生を終えようとしている自分には)完全に手遅れだ。
とはいえ、改善の余地が広大にあることに気づくことができただけでも、幸せと言わねばならない。