十五年戦争の敗戦が決定した夜に、一部の将校が近衛第一師団とともにクーデターを企図した。
近衛第一師団はクーデターへの参加を拒否し、クーデター自体は失敗したが、師団長が殺害された。
師団長森赳中将の殺害に関わった数名は事件直後に自決し、森氏を斬った上原重太郎大尉は、数日後に勤務先である陸軍航空士官学校で自決した。
著者は、同校で上原大尉の教え子であり、同級生らとともに、上原氏自決の現場を目撃した。
ところが、昭和40年代に入って著者は、森中将殺害の下手人は上原大尉でなく、存命の別の人物であるという出版物を目にする。
森中将を殺害したのは誰か、著者は、存命の関係者の聴き取りをすすめ、真相に迫ろうとする。
本書は、著者によって真相が少しずつ解明されていく過程を描いており、読み始めたら読むのをやめられない。
決定的な真相は結局、謎のままなのだが、森氏を斬ったのはやはり上原大尉だと、著者は結論づける。
決定的な真相を知っているのは、上原大尉らとともに現場にいた上記の人物(窪田兼三少佐)だが、窪田氏は、証言を拒否し、曖昧な発言に終始する。
これを読む限り、窪田氏の記憶自体が曖昧な印象さえある。
この事件(宮城事件)には、多くの問題点がある。
一つは、「聖断」によるポツダム宣言受諾を撤回させようという動きが存在したという点である。
実行犯たちは、もし天皇が自ら鎮圧に出てきたら、天皇とも対決するつもりだったのか。
最後の一兵になるとも戦い抜けと指導していた将校たちにとって、無条件降伏はあってはならない事態だった。
そのような指導こそが荒唐無稽なものだったのだが、中間指導層たる将校たちを含む戦争指導者たちが荒唐無稽な使命感に踊らされて、自分たちの脳内と現実との見境もつかずに、このような事件を起こしたのである。
彼ら脳内には、日々殺されゆく兵士や国民の苦しみは存在しなかった。
また、クーデター計画や師団長殺害という重大犯罪にもかかわらず、刑事事件として立件されていない。
上原大尉は逮捕されず、陸軍航空士官学校の上司の説得によって自決させられた。
一方、首謀者の一人である井田正孝中佐を始め、実行犯である窪田少佐も、事情聴取のみで罪には問われず、近年まで健在だった。
そんなことが何故ありえたのか。
何ら大義のない殺人さえ不問に付すほど、戦争遂行に関わる犯罪について、この「国」は最後までいい加減だった。