伝統作物とは、各作物における、それぞれの地域独特の品種のことである。
各種作物は、それぞれの地域に、誰かによってもたらされる。
耕作者は、その作物を作る過程で、何らかの選抜を行う。
現在、ほぼ主流となっているF1種子など、まずあり得ない時代のことだから、収量・大きさ・食味などの点で、成績のよいものが選ばれて、代を重ねることになる。
その場合、種子そのものの性質にもよるだろうが、特定の環境下において、より大きなパフォーマンスを示す個体が、選ばれるはずだ。
村により、気温や日照・降水量・霧の出やすさなど、自然条件が異なる以上、ある村で成績のよい個体群が、隣村で同じような好成績をあげることができるとは、限らない。
こうして、地域独特の品種が作出される。
どこの村でも同じように好成績をあげることができる方がよいではないかという考えも、ある。
それも、一理ある。
しかし、そのような考え方に立つことによって、失わねばならないものも、多い。
地域独特の味覚や調理法などは、地域文化の基本的な一部なのである。
美味しさを数値化することなど、できない。
どのような状況でどのように調理されたものを食べるかによって、美味しさは変わってくるからである。
信州には、伝統作物が多いように思う。
それは、個性的な地域が多いからである。
中央構造線が縦断し、日本海側と太平洋側の両方の気候に大きく影響されるという、多様な自然条件が、地域の個性を際立たせているのである。
韓国唐辛子を日本で栽培しても、豊かな味わいは出せないのと同様、信州の伝統野菜を埼玉県秩父で栽培しても、同じようにはできないだろう。
しかし一方、ポームから離れたところで栽培されることによって、品種の特性が新たな展開を示すことだって、ないとは言えまい。
偶然、種子を入手した稲核菜を作ってみたことがある。
自家採種はしなかったから、結局、1年こっきりになったが、当地でも、立派にできたと思う。
遠隔地の伝統野菜を作って食べるのは、現代人に許された一種の贅沢といえるのではなかろうか。
一部に「カボチャの原産地はカンボジアである」などという、信じがたい間違いが記載されているのは気になるが、カラーの圃場写真などものっていて、楽しめる。