今の時代に、巨大ダムの建設が必要だという人が、はたして、いるでしょうか。
それほど、「ダムはムダ」というのは、国民の常識となりつつあります。
利水を目的にすれば、洪水を起こす危険が生じ、治水を目的にすれば、渇水時に役に立たない。
大面積の森林を伐採することから、山の保水力を乏しくさせ、堆砂による上流の洪水や、地震などによる堰体崩壊の危険性すら、クリアになっていない。
そして、ダム建設による地域社会の破壊や、国の借金の、次世代へのつけ送り。
さらには、生態系の破壊。
これほど、百害あって一利ないダム建設が、相も変わらず進められているのは、政治が、土建業者の方を向いて行われているからだと思います。
景気をよくするために、まずやらなければならないのが公共事業だという考えは、政府の中でだけしか、通用しないでしょう。
まして、ここ数年の公共事業の増発は、バブル時に不良債権を抱えてしまった土建業者を、延命させるためのものだったと思われますから、つけを払わされる将来の国民は、じつに気の毒だと言わざるを得ません。
しかし一方、林業・農業の衰退によって、建設業への従事者割合の増えた農山村では、とりあえず「食っていく」ために、公共事業をはじめとする工事や観光開発への期待が強いのも、事実です。
これらの村では、実際に食っていかなくては、ならないのです。
自然を切り売りすることが、自分の手足をかじるような行為だということは、そろそろ、みんなが気づいているはずですが、先の見通しがない以上、しかたがないのです。
どうすれば、ダムや公共事業に頼らない村を作ることができるか。
それができれば、ムダなダムを造る必要はないはずです。
このことに明確な答えを出すには、日本の農業と林業をしっかりと立て直す政策と外交交渉が、必要です。
目の前の利益ばかり追い求めるのではなく、農業と林業の足腰を強くすることが、将来に渡って、日本の基礎をしっかりさせるのだということを、国民みんなが理解しなければ、そうした政策を実行することは、できません。
また、農林業の展望が見えない現在ではありますが、山村住民が、都会暮らしと同じような利便さや高収入は期待できなくても、美しい自然とともに暮らすことに誇りをもつことも、大切だと思います。
しかしそれらは、すぐに実現できることではないのです。
ダム建設と戦いながら、ダムに頼らない村づくりという先見性に満ちた取り組みを進めているのが、徳島県木頭村であり、村長の藤田恵氏です。
この本は、ダム反対運動の軌跡や藤田氏の半生記、そしてダムに頼らない村づくりの現状などについて、書かれています。
もっとも興味深いのは、やはり、ダムに頼らない村づくりの部分です。
特産品としてゆずや「山の湧水」を開発して、売り出していく事業活動と、山村留学制度や農作業ボランティアなど、村民の誇りを育てる啓蒙的活動とが、藤田氏の識見や信念を軸に、しっかり組み合わされているから、村づくりが軌道に乗りつつあるのではないかと思いました。
この部分は、かんたんにさらりとしか書かれていないので、もっとくわしく知りたいと思いました。
このような村が、各地にできていってほしいものです。
(ISBN4-946448-74-8 C0036 \1200E 1999,11 悠飛社刊 2000,11,16 読了)