春のヤブ山
− 石間戸から小川峠 −
【年月日】 |
2020年4月30日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
駐車スペース(9:23)−MTB−石間戸(9:34)−漆木山(11:57-12:19)
−米山(13:29:13:33)−真弓沢山(南峰)(14:44-14:51)−沢戸(15:45)
−駐車スペース(16:04)
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【地形図】 |
長又 万場 鬼石 皆野 ルート地図(マウスホイールで拡大・縮小可)
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沢戸の手前に軽トラをおき、自転車で登山口へ下る。
ずっと下りなので、体力をまったく使わない。
万年橋近くに自転車をロックし、石間戸耕地へ。
自動車で通過したのでは気づかない馬頭尊が、一体。
この馬頭尊は、秩父事件を見たはずだ。
めざす尾根ははっきりしているのだが、とりつきがわからない。
地形図にある神社も見当たらないので、とりつき付近の人家で道を教わり、まずは不動堂と石間戸へお参り。
不動堂は寂れているが、わきに青面金剛。かなり傷んでいるが、修復され、覆屋で保護されている。
内部を覗くことができないので、本尊がどんなのか、見えなかった。
お祀りはされていないかもしれない。
少し高いところに、石間戸神社。
幣束が下がっているから、お祀りはされているようだ。
神楽殿もあるのだが、すでに倒壊しかかっていた。
尾根へ登る道を行く。
少し登れば山畑あとだが、耕作はされていないようだ。
その先ゆず園で、ここも同じ。
踏まれた道はこのあたりまでで、その先は特に道なし。
雑木林が多いので、新緑が美しい。
小さな登り下りが続くので、体力を消耗する。
尾根が西へ曲がると、眼下に漆木あたりの集落が見え、彼方に沢戸が見える。
沢戸の全景がこれほど見えるポイントは、なかなかないのではなかろうか。
気望殿ピークには、女部田耕地と大波見耕地によって設けられた大きな石祠。
正面には「金峰山」と彫られている。
作られたのは明治33年とあるから神仏分離は終わっていたはずだが、里修験だった人が音頭をとって作ったのだろうか。
漆木山は気持ちのよい雑木のピークだが、東からの風が強かったのでスルーして、少し下ったところで大休止。
ラーメンを持ってくるのを忘れたので、具だけ食った。
少し下れば、新岡部線13号鉄塔。
ここはまぁまぁ好展望。
靄が強いので、観音山・毘沙門山・両神山・二子山など。
ただ送電線が邪魔だ。
ここで痛恨のルートミス。
14号鉄塔への巡視路が明瞭だったので、ついそちらへ入り込み、ずいぶん下ってしまった。
目の先に鉄塔が見えてきたのでおかしいと気づいたが、ときすでに遅しだった。
道はしっかりしており、諏訪神社の裏に下り着きそうだったが、時間もあるので思い直して、鉄塔へ登り返した。
鉄塔から北西への尾根を下ると、舗装された林道。
鞍部は岩を砕いた切り通しで、北へのとりつきがない。
しばらく探したが、踏みあとらしきものはなく、斜面を強引にずり登る。
この先の登りは、この日最もつらい登りだった。
さらに登れば、米山の三角点。
麓に米山薬師があるから、ここに奥の院があったのだろうか。
ひどく疲れたので、小休止。
疲れてくると、巻き道が魅力的に見えてくる。
尾根道も巻き道もないのだが、しっかりした鹿道は利用価値がある。
とはいえ、鹿道はいずれ消えるから、あまり深入りすると苦労するはめになる。
雨乞山には小さな石祠が一体。
そこからしばらくは、小さな登り下りが連続する。
途中、ミスしかけたがここはすぐに修正。
真弓沢山へは最後の登り。
ここは頑張るしかない。
ピークには、この日初めて見る山名版。
とりあえず小休止。
地形図の小川峠道はそもそも全然違っていて、図より南に峠を示すであろう石祠がある。
図の峠地点の、小川側は新しい植林地のため道は存在せず、沢戸側の道も消えていた。
沢状を下れば、峠道の痕跡が見つかる。
道は沢から離れていくのだが、痕跡は次第に濃くなってくるので、問題なし。
沢戸耕地を通ったのは初めてかもしれない。
ここに畑はほとんどないが、人家はとても多い。
秩父の典型的な奥山山村だ。
半納はさらに見上げる位置にある。
周囲の景観を見ながら、軽トラまで戻った。
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