洪水調節?

 荒川上流再開発事業(新大洞ダム建設)の中心的な目的は、洪水対策だと考えられます。

 なぜそう言えるのかというと、資料に記してあるダム事業効果8111億円のうち、洪水調節効果として算出されているのが7573億円ですので、事業効果のほとんど(93%)が洪水調節効果であるからです。

 荒川水系の治水の現状について、上記資料に示されているデータについて、検討してみましょう。

 資料にはいきなり、「想定氾濫区域」なる洪水予想区域の地図がでてきますが、どれだけの降水量があって、どの地点で破堤するとこうなるのか、なんの説明も附されていません。
 これでは、検討のしようもありません。
 この地図は、明治43年洪水の際の冠水区域を書き写したものかもしれません。

 次は、明治時代から現在に至るまでの、荒川流域において発生した洪水の惨状に関する資料です。

 明治以来の主な洪水被害として、8件があげられており、うち戦後が7件。
 死者・行方不明者数は、昭和22年のキャサリン(カスリーン)台風が16人。それ以降は、のべ9人で、昭和57年の1人を最後に、ゼロとなっています。
 この数字を見る限り、荒川水系の治水は、基本的にほぼ、問題がなくなったと思えます。

 200年に一度規模の大雨が降って浦和付近で破堤が発生したという想定で、破堤以後14日間の氾濫予測状況が、シミュレーションされています。
 検討する前に、200年に一度というこのシミュレーション図と、上に紹介した「想定氾濫区域」が全然重ならないので、まずは、あきれてしまいますが、それはおいておきましょう。

 まずは、[200年に一度規模の大雨]の概念規定について。
 これは、[カスリーン台風が引き起こした大洪水時の1.2倍の総雨量]の雨のことだそうです。

 キャサリン台風時の平均3日雨量は、別の棒グラフで見ると約460ミリほどで、これは[50年に一度クラス]だそうですが、1999年8月には、2日間で500ミリを越える大雨が降りました。
 この大雨によって、秩父の渓流もひどい打撃をこうむりました。

 赤平川支流のほとんどの渓流は、流入した土砂によって埋まってしまいましたが、それらの川はほとんどが、林道工事など、人為的な傷を受けた川ばかりでした。
 奥秩父の源流域にも、土砂流入があり、渓相は激変しました。

 しかし、奥秩父の場合、その後の降雨によって、順次、渓相は回復しています。
 一方、何年経っても回復していないのが、同年4月から本格湛水を開始した、浦山ダムからの泥粒を含んだ泥水の放流です。
 この悪水は、ダムから荒川本流に流入し、本流の水質を悪化させており、秩父漁協の中には、荒川上流のアユ漁に、大きな打撃を与えていると指摘する声が、多数あります。

 この時の雨は、[100年に一度クラス]だったのではないかと思いますが、破堤は起きませんでしたし、甚だしい人的・物的被害は、発生しなかったと思います。

 国土交通省は、コンクリートによって、水を力で押さえつける治水から、氾濫とうまくつきあいながら被害を最小限に食い止める治水へと、方針転換しつつあると報道されていたはずです。