観瀑台付近にはトチの大木が多い
| 晩秋の流れ(大きな写真)
|
清掃山行は今年2回目だが、春の和名倉沢は2007年度の分ということで、2008年の清掃は大除沢(滝沢)になった。
朝9時過ぎに、不動の滝への下降路を下降。
ここを下降するのは、8年ぶりだ。
不動の滝観瀑台までは、観光用の立派な道だが、その先の踏みあとは落ち葉に埋もれて消え消えだった。
テープの目印をたどって、滝上まで行き、入渓。
斜面にも渓の岩にも落ち葉が乗っていて、気をつけていないと滑ってしまう。
ただでさえ、バランス感覚が鈍っているので、無理は避けてていねいに遡行した。
釜の前
| ここで休憩(8年前と同じ場所)
|
釣り人の少なくない渓なのだが、ゴミはほとんど見あたらない。
ここ10年の間に、釣り人のマナーがずいぶん良くなったのだろう。
渓流を巡る、いい話の少ない中で、これだけはうれしいことだ。
8年前にも腰を下ろした、小さな落ち込みのわきで小休止。
葉のある季節には陽の射さない渓だが、初冬の渓は思いのほか明るく、水面がキラキラ輝いている。
淵尻には流れ着いた落ち葉がどっさり積もっている。
暖かいので、カゲロウも少々飛んでいた。
急傾斜のゴーロを抜けて渓が狭まるところまで来たが、ゴミが少ないので、遡行をうち切り、小さな焚き火を燃やして、まったりと大休止。
落ち葉が浮かぶ淵
| 朽ちた橋
|
ここの渓には、炭窯のあとが多い。
中には、補修すればまだ使えそうなほど、しっかりしたのもある。
飯野頼治さんの『秩父の木地師たち』には、出合から1里入ったこの渓の奥から、上中尾の小学校に通っていた女の子がいたという話が出てくる。
それが事実だとすれば、その家族の小屋は和名倉山直下の最源流に位置していたということになる。
大除沢とは、それほどまでに、にぎわっていた渓なのだ。
帰りは、消えかかった杣道を戻る。
かつては渡れた丸太橋も、朽ちて危なっかしい。
杣道はあちこちで崩壊しており、渓通し下っても大差ない感じだった。
左岸にスギが植えられたところを過ぎると、不動の滝が近い。
このあたりは、トチの大木が多いので、大木の鑑賞も楽しめる。
樹木に詳しいOさんから、てっきりトチだと思っていた一本がメグスリノキだと教えていただいた。
赤沢谷にも大木があるが、それをしのぐメグスリノキ巨木だった。
その後、滝下の河原で打ち上げ。
いつものように焚き火を囲んで、四方山話に時を忘れる。
テントが張れなかったので、フライシートとツェルトで立派な宿り場を作って眠った。
|