遺伝子への釣り旅

毛鉤を振るにはきびしいヤブ沢

サワグルミが多い

 荒川水系渓流保存会の仲間と多摩川源流域のイワナ調査。

 鈴野藤夫氏の『山漁』(農文協 1993)には「「年代・氏名とも不詳ながら、大洞川上流井戸沢へ主脈の将監峠(一八五九メートル)を越えて、山梨県塩山市の一ノ瀬高橋から一ノ瀬川(多摩川上流)のイワナを移植した・・・との伝承があり」とある。

 また同じ鈴野氏のガイド本『関東南部の渓流』(つり人社 1986)には、「一ノ瀬川流域では、この東谷・西谷のみがイワナの生息する谷である」とある。

 鈴野氏の得た伝承のソースは不明ながら、その記述には看過できないものがある。
 ガイド本に記述された東谷・西谷はともに井戸沢と共通の水源を持つ。
 すなわち、峠を越えればそこは、井戸沢の源頭なのである。

 しかも地形図をひもとけば、一ノ瀬川の最源流は傾斜がゆるく、イワナの遡上を妨げ得る顕著な滝が乏しいように見え、かなりの高度にまでイワナが生息している可能性がある。
 とすれば、峠越えのイワナ移植は必ずしも不可能ではなかったかもしれないではないか。

 断っておくが、ここで注目しているイワナの移植は、自動車や空気ポンプなど近代的輸送手段の発達していなかった時期の、やかんや瓶を利用した原始的なイワナ移植である。
 近年ひそかに行われていると推測される源頭への他水系イワナの発眼卵放流は、地域の生態系と文化を否定する現代の一部釣り人による傲慢きわまりない行為である。

 山住みの人々がかつて行ったのは、該水系のイワナの滝上への放流である。
 これによる生態系への影響はほとんど皆無に等しいし、結果的にではあるが、乱獲や開発により危機に瀕した在来イワナの一群を険谷に避難させることになった。
 山村文化の一環としての滝上放流と密放流は性質を全く異にする。

 ところで、鈴野氏の得た伝承の当否を判定するには、遺伝子解析の手法が有効となる。
 今回の釣行は、一ノ瀬イワナの遺伝子情報解析の試料採取を主たる目的とするものだった。

クマイチゴを食べながら釣る

ヤナギが多いのでヌメリスギタケモドキが出ている

 一日目は小手調べのため、本命じゃない渓に入渓。
 渓相は、ややヤブが濃いものの、まずまずテンカラ向きの渓。

 最初の一、二投での反応はなかったが、最初に小ヤマメが跳ねてからアタリが出はじまる。
 ただ、出るのが早すぎて鉤がかりしない。
 合わせのタイミングはイワナと同じだから、たぶん遅すぎるのだろうが。どうしても合わなかった。

 しばし釣り遡っていくと、愛想の悪い沢屋カップルに追い抜かれる。
 「こんにちは」とも言わずにさっさと歩いていったのだが、最近の沢登りはこういうのが流行なんだろうか。

 沢屋が歩こうが泳ごうが、おれの釣りには何の関係もない! とほざけるほどの腕は持ち合わせていないので、この日の釣りは実質的にここで終了。
 同行したIさんが釣られたヤマメ・アマゴ・イワナを見せてもらったのが収穫だった。

 近くのキャンプ場に泊まった翌日は本命の渓に入るが、朝が早いのでおれは竿を出さずに釣りの見学。

 エサ釣り・毛鉤釣りで釣れてくるイワナを観察した。

 ここのイワナの見た目は秩父在来とおおむね同様だが、全体的に白っぽく、大洞川井戸沢のイワナとはかなり異なっているという印象を受ける。
 かこう岩の砕石でできた渓に棲んでいるからそのような体色をしているだけで、遺伝子的には大洞イワナと同一である可能性も残っているが、遺伝子解析の結果やいかに。
 思ったよりも魚止めが近く、稜線までかなりの距離があったことも、伝承の信憑性を疑わせた。

 十分ではないものの、まずまずの試料を得ることができたので、調査は終了。

 まだ午前中だったので、キャンプ場を撤収してから中流部の放流魚と少し遊んだ。
 日曜日とあって釣り人がずいぶん入っているようだったが、どう見てもアメマス系の放流魚としか思えないとはいえ、いい型のイワナが出たので愉しかった。