明け方の空はどんよりと曇り、駐車スペースに着くころには霧雨が降っていた。
ひさびさに重荷を背負うので、ザックが肩に食い込む。
幕営予定地まで、約3時間の歩きだったが、肩・腰・腕と満身創痍とはいえ、歩き通すことができた。
天気はしだいに好転し、すっかり緑に染まった杣道は、いかにも初夏の渓の風情だった。
ところどころに咲く満開のヤマツツジと樹木の緑との対照色が、目を驚かせる。
センダイムシクイ、エゾムシクイ、コルリ、オオルリなど、初夏の野鳥もさえずりもにぎやかだったし、日が昇るにつれて、奥秩父の初夏の音というべきエゾハルゼミの鳴き声が響きわたった。
今回は瀬音の森のメンバーとの調査釣行だった。
おれのテーマは、自然に再生する渓畔林の姿をビデオに撮影することと決めていたから、目的の沢の出合からはビデオを回しながらゆっくり行った。
ここに幕営するのは確か4度目。
自分としてはおなじみの渓だが、魚を求めて釣り歩くのと周囲の状況を観察しながら遡行するのとでは、目に入るものがぜんぜん違う。
この渓は、人里から遠く離れた奥山の国有林。
かつて奥秩父の生態系の中ではもっとも典型的な林相が展開していたらしいが、1960年代には伐れるところは伐ったのち伐採請負会社も林野庁も撤退。
あとに残されたのは、渓流に残骸をさらすだけでなく、いまだ空中高く張られたままになっているのもある鉄索ワイヤ。
渓は今なお激しい崩落を続けており、無惨な山肌をさらすのみならず、淵を浅くし続けている。
この現実を、しっかりと見つめなければならない。
この現実をもたらしたのは、人間のいかなる衝動であったのかに、思いをめぐらせなければならない。
幽玄の森と大イワナの跳ねる渓が復活するかどうか。
そのため、人間に何ができるかを考えなければならない。
堆石の河原に生えたウワミズザクラにクマ棚ができていた。
クマが生息できる環境であることは何よりだ。
しかし、以前ここで、新しい崩壊地から墜死したカモシカの遺体を見たこともある。
生態系はまだひどくゆがんだままなのだ。
しばらく遡行し、大きな支流に入るまで撮影に専念。
高巻きの多い支流だが、ときおり竿を出すと、いいイワナが毛鈎をくわえてくれた。
今までは気づかなかったが、一部の斜面にカラマツが植えられていた。
樹齢は30年をはるかに越えているはずだが、今にも枯れそうなほど弱々しい。
ここは天然林施業区域なので、もう収穫されることはないカラマツだが、これが植えられただけでも崩壊に歯止めがかかったかも知れないと思えば、よくここまで生きながらえたという感慨もある。
魚止めが近づくと伐採宿舎あと。
一昨年来たときにはまだ建っていたが、すでに倒壊していた。
伐採の歴史は時間とともに埋もれようとしている。
この支流のイワナはこの小屋の旧住民が持ち上げたものだと聞いた。
在来の特徴を示すイワナが健在なのも何よりだ。
小屋近くで釣った良型をSさんのビクに入れ、しばらく行ったところで竿を仕舞った。
テン場に戻り、焚き火を囲んで恒例の宴会。
今回のパーティは5人。
酒もつまみもたくさんあるし、月も星もあくまでも明るい。
しばらく晴れていたから、乾いた流木は、とても機嫌よく燃えてくれる。
それにしてもここ数日、死にそうに忙しい毎日だったので、会話がとぎれると渓音の中に意識が遠のいていく感じ。
テントに入ったのが何時ごろか、よく憶えていない。
翌日は雨の予報だったが、どういうわけかこの日も快晴。
沢で晴れてくれることほど、ありがたいことはない。
この日は本流を遡行することにした。
陽が射すまでの間、おれの腕では釣りにならないので、しばらく釣らずに歩き、川虫のハッチを確認してから竿を振ったら、出るべきところではきちんとイワナが出てくれた。
昨日の支流を分けてしばらくで妖怪滝。
ここを大きく高巻く途中は、垂直の岩場に天然ヒノキの大木が何本も生えていて壮観だ。
ローソク岩と通称される岩峰を過ぎると魚止めも近い。
イワナの機嫌は相変わらずよかったが、どういうわけか、いつになくバテてしまった。
魚止めで大休止して、ゆっくりと沢下り。
途中出会ったはぐれ猿が、何か叫びながらしばらくついてきた。
予定どおりの時間にテン場着。
再び重荷を背負い直して下山にかかるとパラパラと雨が降り出したが、本格的な降りにはならなかった。
やや暗くなった杣道でコノハズクの鳴き声が聞けたのはラッキーだった。