瀬音の森源流部会の初めての山行。
体調不良で不参加のはずだったOさんが、集合場所に顔を見せていたので、今回のメンバーは予定どおり6人。
先行しているSさん親子をのぞく4人の後発部隊が、重荷を背負って、いつもの軌道を歩く。
同行者はOさん、Kさん、Iさん。
遅い梅雨がようやく明けたものとみえ、青空がのぞいて、気温がどんどんあがる。
渓を見るとやや増水気味だが、水は美しく澄んでおり、ヤマメの泳ぐ姿も見えて、暑いながらも、とても気分がよい。
1時間ほど歩いて、ベンチのあるところで小休止。
なぜかこの付近で、数十頭ものヤマキチョウが乱舞していた。
奥秩父ではめったに見ないこの蝶が、なんで大発生したのだろうか。
ここの先きびしい急登がひかえているのだが、OさんとKさんに、荷物を分担していただいたら、ずいぶん軽くなった。
登りの途中にある信玄ブナにあいさつしたら、一段と老化が進んだようすをしていた。
長生きをして、われわれ釣り人に、いろんなことを教えてほしいのだが。
春から初夏にかけてとてもにぎやかなイヌブナの森は、ずいぶん静かで、落花したシャラの花が散らばっていた。
泊まり場に向かう登山道には、各種きのこが出始まっていた。
ヘビキノコモドキ、ニカワホウキタケ、クサハツ、サンコタケ、アカカバイロタケ、ニガクリタケ、ツキヨタケ、ツエタケ、ヒカゲウラベニタケなど。
今年は天候不順なぶん、きのこの出が早いようだ。
泊まり場に到着後、みんなで薪集め。
ひといき入れてから、おれは晩めし作り。
荷物がやたら重いのは、畑の野菜を担いでくるからなのだが、せっかくあるんだから、山でも、乾燥野菜とかレトルトでない食事を食いたいと思う。
Sさん親子も、イワナを釣って戻ってきた。
ご飯も肉鍋も、すこぶる順調。
薪がたくさんとれたおかげで、いい焚き火もできた。
陽が完全に暮れきる前に点火するから、腹がいっぱいになり、酒が回りきったあたりで、真っ暗になる。
渓の夜のクライマックスは、ここからだ。
山の話や、毛鉤や釣りの話、瀬音の森の話。
同宿の若者も、酒瓶を抱えてやってきては、火を囲む。
この石に腰かけて、何度、こうして飲み明かしただろうか。
骨酒の香りが漂い、狭い空を見上げると、降るような星空だ。
これぞ、夏のイワナ釣り。
翌日は、今回のメインである、最源流見学&釣り。
前夜の宴で、Kさんから「この秋のイベントの夜学を頼むよ」と言われたような気がしたので、今日は源流のビデオ撮影に専念しようと思っていた。
そういう目で周囲の景観を眺めると、おれの固い頭でも、いくらか勉強になる。
今回は、秩父在来イワナをはぐくむ流れが、どのような森によって作られているのかを撮ってみたいと思った。
源流への踏みあとは、いったん尾根まで登り、山腹を横切って、渓に降りつく。
だから、この渓の森林植生を、期せずして垂直的かつ水平的に観察しうるコースにもなっているのだ。
道はまず、ツガの森を急登していく。
ツガの大木が目に入るが、スズタケのヤブも濃い。
スズタケに代わってアズマシャクナゲが出てくると、ヒノキやヒメコマツの大木が多くなる。
ヒノキは、巨木といえるような個体はないが、ヒメコマツの大木はすばらしい。
このあたり、食べるものも少なかろうと思うのだが、鹿の糞がすこぶる多い。
尾根からトラバース道に入ると、景観は一変する。
最初に目を引くのは、バラモミの大木だ。
曲がることも、枝分かれすることもなく、ひたすらまっすぐ空をめざして伸びている。
界隈に数本の大木があるが、奥秩父ではそれほど見ない木だ。
バラモミの数メートル先には、イヌブナの大株。
ブナとちがって、巨木ではないが、ひとつの株から大木が何本も出ていて、あたりの空を覆っている。
奥秩父の森の主役をなす木のひとつだ。
その先は、かつて深い笹ヤブだったのだが、最近スズタケがずいぶん枯れてきた。
その斜面にウダイカンバの大木が数本、立っている。
秩父最大ではないとのことだが、りっぱな木が数本。
ずっと奥にもそれらしき木が見えている。
かつてガレ場だったとおぼしき小石の斜面には、サワグルミの大木が群生。
芽生えもたくさんあるのだが、うまく育つのはこのうち何本あるかだという。
このあたり、芽先を食われたミヤマクマワラビがちらほら。
白石の滝の滝音を聞くと、やはりガレ場あとの砕石帯で、若いシオジの林。
若いといっても、それなりの個体ばかりだから、双葉の稚樹がたくさん生えていた。
ここを過ぎれば、百丈の滝はもうすぐだ。
腹に響く滝音とともに、滝の一部が、樹間からほの見えた。
ここには何度も来たが、この滝を見ることができると感無量だ。
ここから、渓に降りる。
渓に立つと、みなさん釣り人と化し、それぞれ竿を振り始めた。
掛けたりはずしたりするたびに、みんなの絶叫が渓に響く。
おれはしばらく、渓流撮影に専念。
ここは標高約1500メートル内外の、山地帯上部。
奥秩父では、イワナ生息域の限界に近い。
かつて氾濫原だった平坦なところが、渓畔林となっている。
樹種としてはまず、ハンノキの仲間とサワグルミ。
そして、オオイタヤメイゲツ、オオモミジなどのカエデ類。
水辺には、アサノハカエデ、テツカエデ、ミヤマザクラなど。
モミやツガも多い。
これらは本来、尾根に生育する樹木なのだが、奥秩父では、尾根筋からの崩壊土でできた氾濫原に生えているのをよく見かける。
いい感じの淵があったので、おれも少し釣ってみようかなと思い、毛鉤を落としてみたら、イワナがゆっくり浮かんできて、ぱくりとくわえた。
すかさず合わせをくれたが、イワナは何ごともなかったようにゆっくり泳いでいる。
またはずしたかと思ったが、竿が弓なりになっていたので、これは大物がかかったのだとわかった。
テンカラでこんなにでかいのを掛けたのは、初めてだ。
去年から、でかいのはたいてい、KさんやJさんに持っていかれたからなぁ。
下の淵に走られてちとあせったが、なんとか無事にランディングすることができた。
テンカラに転向して初めての尺イワナをみんなに見てもらって、うれしかった。
そうこうしている間に、蕨沢との出合が近づき、周囲はサワラの森。
サワラはヒノキとそっくりだが、ヒノキが尾根筋に多いのに対し、こちらは沢筋に多いという。
サワラに混じって、ダケカンバ、ツガ、カラマツなどの大木が屹立する、幽玄なムードの森だ。
すぐそばの急斜面には、ヒノキの巨木も生えている。
このヒノキも、天然物としては、奥秩父最大級なのではないだろうか。
小休止すると、そろそろ帰りが気になる時間。
遡行スピードを少し速めると、小さなゴルジュで連瀑帯。
少年もいるので、Kさんが、ザイルをフィックスしてくれた。
記念写真を撮ったのち、踏みあとへとはい上がると、視界が開け、渓が見渡せる。
西には、埼玉県最高峰の三宝山が間近に望まれ、まわりは、黒木の原生林で、クロベやヒメコマツが、岩に食い込んでいる。
いま少し登れば、標高1700メートルの亜高山帯下部で、コメツガの森となる。
きょうはこれで、標高差にして500メートルほどを登ってきたわけだが、周囲の樹相は、万華鏡のように目くるめく展開した。
この多様性とこの重厚さ。
これが秩父イワナの森なのだ。
この日の釣行で、この森のことがまた、少しわかったような気がする。
でも、おれは、まだまだだめだと思う。
もっともっと、この森のことを知らなければならない。
自然を守るのは、貴重だから守るんだという意見や、人間の役に立つから守るんだという意見があってもいいと思う。
でもおれは、そこからなにかを学んで、少しでもりこうになりたいから守りたいと思う。
少しりこうになれて、おれは大いに満足した。
急な下降は、足にこたえる。
再び重荷を背負って下界へ戻る。
静かな森に、KさんとIさんが歌う、「日本全国膝が痛い音頭」が響いていた。