行きたくても行けなかった、奥秩父の源流に、ようやく行くことができた。
メンバーは、それぞれ別の沢登りグループに所属するUさん、Oさん、Cさん、そして荒川水系渓流保存会のJさん、樹木にくわしいOさんとおれの6人だった。
ザックを背負って歩き出すが、幕営装備があるので、荷物が重く、足があがらなかった。
早朝の山道は、3日前に歩いたばかりだが、オオバアサガラの花がずいぶん増えたような気がした。
林道の終点で早くも小休止。
天気はあまりよくないが、コルリ、エゾムシクイ、センダイムシクイ、ウグイス、アオバト、コマドリ、アカハラ、ホトトギスなどが、きげんよくさえずっていた。
この道は、最近だれか有志がササを刈ってくれたらしく、以前に比べて格段に歩きやすくなった。
樹木にくわしいOさんに、いろんなことを教えてもらえたおかげで、まぁまぁ飽きずに歩いて行けた。
川におりて、3日前に荷上げしておいた酒をとりにいったら、だれかに盗まれていたので、とてもがっかりした。
しかし気を取り直して、テント場へ急いだ。
テント場で大休止。
晩のおかず用のマスタケをとってきたのち、目の前の瀬で竿を出してみた。
釣れたのは、小さなイワナばかり。
どれも、同サイズで、放流魚の血が混じっていると思われた。
食うには小さいので、すべてリリース。
疲れがとれたので、ハーネスをつけ、第一の支流に向かった。
この途中までは、何度か行ったことがあるが、たいへん悪いところがあるので、行けないでいたところだ。
沢登りグループの人たちの遡行は、動きにムダがなく、的確なホールドをテンポよく拾っていくので、とても勉強になった。
おれはというと、岩をつくづく眺めたり、なで回したりしないと、行けそうな気がしないので、みなさんの足を止めてしまって、どうも申し訳なかった。
しかし、落ちたらもっと困るので、慎重に行った。
岩場では、ヤグルマソウが白煙のように柔らかく、咲いていた。
第一の支流は、ゴルジュの出口に流入しているのだが、崩壊が多く、渓相はよくなかった。
おれの餌竿では、魚はちっとも釣れなかったが、Uさんのテンカラ竿には、かなり反応があるというので、即テンカラに転向したくなったが、魚がよく出るのはUさんのウデがよいからなのはわかっていたので、最後まで餌釣りで通した。
その日の夕方にJさんが合流。
これで全員がそろった。
飯を食ったあとの夕マズメに、焚き火を囲んでいたら、Jさんが「今の時間なら誰が釣っても毛鉤で釣れます」と断言したので、よっしゃと思って近くの瀬でテンカラ竿を振ったが、毛鉤は、水に落ちる前に、木に引っかかった。
まずいことに、からんだ毛鉤がどうしてもはずれず、無理に引っぱったら、糸が切れた。
老眼にむち打って再び仕掛けを作ったときには、暗くてもう、毛鉤は見えなくなっていた。
焚き火に戻って、「釣れませんでした」と言ったら、Jさんに「そんなばかな!」と言われてしまったが、木の枝なら釣れましたとは、さすがに言えなかった。
何時に寝たのかはわからない。
夜中に一度、フライシートをたたく雨音に目が覚めたが、明け方にはやんで、ガスがたれ込めてはいるものの、どうにか持ちそうな天気だった。
夜にはほとんど気がつかなかったが、テント場には、ヌカカが無数に集まってきていて、手の甲を刺していただけでなく、朝ご飯のうどんの中に、次々に飛び込んでくるのだった。
うどんに入ったヌカカは、当然みんなおぼれて死ぬのだが、ヌカカがなんでこのような無謀な行為に走るのか、理解に苦しんだ。
みなさんの説では、ヌカカは温度のあるものに飛び込んでいく性質があるとのことだった。
そうすると、露天風呂とかのあるところでは、風呂のお湯は、ヌカカだらけになってしまうのではなかろうか。
うどんのだしは、ヌカカだらけになったが、味に変わりはないので、最後まですすった。
二日目は、約3時間、遡行に専念して、第二の支流と第三の支流の出合で二手に分かれて釣ることにした。
昨日の往路と帰路で通過した悪場だが、何度経験しても、命が縮む思いだった。
おれは第三の支流に入った。
ここも、大きな崩壊地が一ヶ所あったが、とても狭いゴルジュや2段10メートル滝など、見どころもあった。
しかし、雨がやや強くなってきたので、大滝まで来たところで、釣意がしぼんでしまった。
雨中に悪場を下降することを考えると、正直言って、釣りどころではなかった。
しかし、第二の支流に入った一隊は、ほぼ十分な釣査結果を得たようだった。
心配した雨も、下降を開始するころには、あがった。
悪場を通過できたころには、狭い空から、光も射し込んできた。
黒い岩壁、緑色の淵、キラキラと光を反射する水面の向こうで、釣行を共にした仲間の笑顔が、輝いていた。
秩父の渓の美しさは、ことばでも写真でも、伝えようがない。
重厚さとにぎやかさを併せ持つ渓音や、針葉・広葉樹が混生する原生林と清冽な流れから発する、たとえようもなく甘い渓のにおいが、頭の中に充満する。
きわどいへつりは、おっかないが、波打つ岩ひだのひとつひとつが、いとおしい。
テント場に近づくと、渓の表情が、穏やかになる。
樹木にくわしいOさんが、「帰りたくないなぁ」と言った。
最源流を含めて、多少ゴミも拾えたので、帰りの荷物は、行きより重くなった。
急登には、慣れているので、さほど苦にならないが、荷の重さには閉口した。
最初の急な30分を登りきったところでザックをおろすと、盗まれたと同じビールの空き缶が二つ。
デポ品を盗むのも許せないが、空き缶を捨てるのはもっと許せない。
その人物に対しておれは、心の中で、ヌカカに食われて死にやがれ! とののしりながら、空き缶をゴミ袋に入れた。
二日間、とても充実した釣りができた。
また、いっしょに行ってくれた方々には、ほんとうにお世話になった。
釣りに行くといつも、自分が少し利口になったような気がする。
今回もそうだった。
渓と仲間には、感謝のことばが見つからない。