何年も前から、畏敬の念を持って眺めてきたブナの木がある。
幹まわりの直径1.5メートルほどだろうか。
北国のブナ王国に行けば、このくらいの巨ブナに出会うのも、さほど珍しくはないかも知れないが、ここ奥秩父にあっては、そうそうお目にかかれる木ではない。
小さな支尾根の北側斜面の、密生したスズタケの中に、その木はいた。
広葉樹と針葉樹の混交した、奥秩父に典型的な森だが、その木のある一帯には針葉樹は少なく、サワグルミやイヌブナ、カエデ類に混じって、何本かの大ブナが生えている。
釣りの行き帰りに、たくさんの木を見るが、今まで見た中では、奥秩父でいちばん大きいブナは、これだ。
初夏には、あたりで毎年、コルリが営巣し、夜明けとともに、にぎやかなさえずりで、急坂に息を切らす釣り人を、迎えてくれる。
根ぎわから7〜8メートルにある太枝付近には、苔の密生の中でシノブが群生し、堂々たる風格を、漂わせている。
この木の樹齢がどのくらいなのか、ちょっと想像がつかない。
奥秩父あたりでは、直径1メートル強のブナで樹齢200年とか300年とかいわれているから、おそらくは400年か、それ以上は生きているのではないかと思う。
この巨ブナが芽生えたとおぼしき時代、このへんは、政治的な風雲の渦中にあった。
甲州の覇者、武田信玄が、峠を越えて、こちら武州の辺地に触手を伸ばそうとしていた。
秩父盆地周辺は関東の雄、北条氏のテリトリーだったが、信玄のねらいは、奥秩父の金鉱開発にあったようだ。
一帯には、金山沢という名の沢がとても多い。
巨ブナの近くにあるその名の沢の中流部には、金山沢千軒といわれるほどのにぎわいを持つ鉱山があったという。
それも、文政のころ(今から百数十年前)には、朽ち果てた残骸と化していたというから、金山の歴史は、時間とともに、原生林に埋もれてしまった。
釣りの中で、信玄の存在を意識するようになったのは、ある日の釣りの帰りに、同行して下さった故・Sさんが、「ほら、そこに信玄入道がいるよ」とおっしゃったときからである。
Sさんは、対岸の岩場に、信玄の霊がいると言われるのだが、おれにはそれが見えなかった。
釣り人の一行の中に、鉱山師がいるのを見て、信玄が、何ごとか、言いに来たのかも知れない。
巨ブナの芽生えた時代と、信玄の生きた時代が近接しているところから、おれは心の中で、その巨ブナを「信玄ブナ」と呼ぶようになった。
昨年の秋、信玄ブナにヌメリツバタケモドキが生えた。
それ以来、とても心配になったが、この夏に再訪したときには、何ごともないようすで、青々と葉を繁らせ、幹に群生したシノブを揺すらせていたので、ほっとしていた。
しかし、この秋、出かけてみると、去年きのこが生えていたところに、今度は、びっしりとブナハリタケがついていた。
それは、この木の組織が、すでに息絶えつつあることを示していた。
信玄ブナに出たきのこを食ったら、400年生きてきた生命が、おれの一部になるんだろうか。
神とも思える巨木は、この世を去るにあたって、どういうメッセージを、おれたちに残すんだろうか。
黄葉しかけた信玄ブナをなでながら、おれは初めて、このブナとの記念写真を撮ったのだった。