感謝の渓

 どんよりと曇った明け方の杣道を、ゆっくりと下降する。
 なかなか、感慨深い。
 きょうは、じつに久しぶりの源流釣行。
 遅ればせながらの、わたしの解禁なのだ。

 このシューズを履くのは、昨シーズン初めての源流行で、けがをしたとき以来だ。
 足首の捻挫は、約半年かけて治癒したが、勤務環境の激変によって、釣行もままならないでいた。

 下りはじめは、観光客用に整備された道だが、先客もいないので、一歩一歩、渓歩きの感触を思い出しながら、歩いた。
 以前は、心急(せ)きながら、走るようにかけ下ったものだが、今は、釣りができるありがたさを、しみじみとかみしめる。

 登山道が踏みあとに代わって、崩壊が3ヶ所。
 バランスとリズムを崩さぬよう、慎重に通過。

 天候がすぐれないためか、鳥のさえずりも、まばらなのが、やや残念。
 それでも、渓音をバックグラウンドに、ヤブサメやエゾムシクイ、ミソサザイなどを聞くことができた。
 草花の美しい時期は過ぎ去ってしまったが、落花したマタタビやシャラの花がたくさん、地面に咲いていた。
 渓では、落ちた花殻まで、美しい。

 急傾斜の渓なので、見ごたえのある滝が多く、しばし足を止めては、滝を眺める。
 よさそうな滝壺が随所にあるが、どういうわけか、釣意より渓への感興がまさって、竿を出す気にならず、結局、約1時間歩いてから、竿を出した。

 いくつめかの小場所で、コツン、とイワナのアタリ。
 15センチにも満たないチビだったが、初めてイワナをかけたときに匹敵するほど、喜びは大きかった。
 横顔を撮影し、DNA鑑定のための試料をいただいたあと、流れに返した。

 その次のポイントでも、またその少し上でも、小イワナ。
 渓に立てるありがたさでいっぱいだったわたしの心に、これはどうも、試料を入れておくバイアル瓶が足りないかな、という慢心が生じた。
 そしたらもう、イワナは釣れなくなった。
 イワナは、山の神様が、釣らせて下さっているんだな、と、思い直した。

 左岸を大きく巻いた少し先まで釣って、竿をしまった。
 時刻は、11時過ぎ。よい潮時だ。

 沢通しの下降は、特に慎重に行った。
 昨年2回の捻挫は、いずれも下降中にやってしまったからだ。
 ヤマブキショウマ、トリアシショウマ、カラマツソウなどを愛でながら下っていくと、アラゲキクラゲ、イタチタケ、ダイダイガサなどのきのこも、見つかった。

 朝には気づかなかったが、フタリシズカは種子をつけており、コウゾの若い実もぶら下がっていた。
 渓はいいなぁ、と、感謝しつつ、無事に車まで戻った。