ヘッドランプをつけて小径を下降する。
この小渓は、渓流釣りを始めたとき、一人で通った渓。
渓流釣りは明け方からやるものだと聞き、薄く冠雪した林道を走ったときは、ずいぶん心細かったものだ。
沢登りのいでたち以外の、釣り道具はすべて貰い物。
とにかく、釣れそうな感じはまったくしなかった。
沢としては初級の部類だが、竿を手にした急傾斜の瀑流帯の遡行はスリルもあり、快感だった。
いくらか釣れるようになってからも、ここではあまり釣れなかった。
あまり釣れなくても、この沢に行かなかった年はなかった。
今朝もいつもの沢に行こうと家を出たのだが、今日はなぜか、途中でこの沢に行きたくなったのだった。
小径を下っていくと、単調なジュウイチの叫びと、ヨタカがキュウリをきざむ音。
天気が悪い上、スギ植林の多い山のためか、小鳥のさえずりも少ない。
渓には、ガスが巻いており、6月だというのに、吐く息が真っ白だ。
薄暗い中、竿を出すと、ときおりイワナがあたるが、おそろしく小さいのばかりだ。
それもそのはず、数年前にくらべて水量は半減、淵に至っては見る影もない。
新しい伐採などはやっていないから、自然に崩壊したものだろう。
数十年前の造林の際の古傷であることは間違いないが、この崩壊は、渓の再生過程を示すと受けとめたい。
投げ捨てられたゴミは、このへんの釣り場でも屈指の量だ。
渓は、長い時間をかけて生き返ろうと苦悶しているのに。
悲しいことだ。
ところで今日は、正しい釣りをしたい。
ゴミを買い物袋に入れて、いちいちザックにしまうのは面倒だが、今日はきっちり釣りたい気分だから、しかたがないのだ。
ザックに入りきれなくなった袋は、途中でデポ。
三つ目の高巻きを過ぎると、淵もなくなり、渓は源流の様相となるが、小さなイワナがまだ顔を出す。
時間があるので、今日は魚止めまで。
しっかり釣り、しっかり渓を見て、ゴミはすべて回収しよう。
イワナ数匹の顔写真も撮れたので、十分だ。
すべて美しいニッコウイワナ。
帰りは、釣りのガイドにも出てない踏みあとを戻る。
一見すると、道があるようには見えないが、道があると思ってよく見ると、道があるとわかる道だ。
買い物袋一つはザックの中。あとは両手。
両手を使ってへつるところは、袋を前方に放り投げてから、あとで回収。
今日は、そこそこ魚も見られたし、心安らかに、生き返ろうとするこの渓にふさわしい釣りができた気がする。
ボウズで始まったこの渓の釣りだが、今日も空ビク。
初心の渓だが、もうここで釣りをしないかもしれないと思った。