秩父イワナを育てた人々

 秩父のイワナ釣り場を作ってくれた先人たちのことは、記憶にとどめておきたいと思います。

 鈴野藤夫著『山漁』(農文協)は、昭和初期に奥秩父でヤマメやイワナを放流した人々の名前を伝えています。

 まず、三峰の宮川久太郎・千島兼四郎
 大洞川のイワナを和名倉沢、市ノ沢、荒沢谷に放流したといいます。

 惣小屋谷にも、10メートルほどの滝上にイワナがいますから、彼らの放流したイワナである可能性が高いと思われます。

 昭和10年代には、栃本の山中小三郎が、「子供の卒業記念」として、入川・真ノ沢の魚止滝上にイワナを放流。
 このイワナが、いつしか白岩ノ滝を越え、千丈ノ滝下にまで、到達しました。

 それを昭和30年代に千丈ノ滝上に上げたのが、甲武信小屋の千島兼一

 滝川と入川で、昭和20年代に活躍したのが、栃本の広瀬利之

 広瀬氏一人で、8年がかりで、のべ30回に渡って、イワナ・ヤマメ・及びニジマスを放流しています。

 氏の足跡は、滝沢、赤沢谷、ヒダナ沢、金山沢(荒川谷)、松葉沢、股ノ沢、曲沢、金山沢、槇ノ沢、枝沢(熊穴沢)に及んでいます。

 釣り場を作ろうとしたというより、種沢作りを意図していたふしさえ見られます。

 氏こそ、秩父の渓の先駆者というべき人物です。

 上記以外にも、氏名不詳の人が各所にイワナを放流したといいます。

 この書で注目されるのは、年代不明ながら、丹波川源流の市ノ瀬川のイワナを大洞川源流に放流したという伝承を伝えていることです。

 山越えでのイワナ放流の事実は、秩父イワナ形成の謎に重要なヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

 秩父漁協によるイワナ成魚放流は、必ずしも秩父ネイティブのイワナばかりではありません。

 このままでは、秩父ネイティブの棲息範囲がしだいに狭められていきかねません。

参考文献  鈴野藤夫『山漁』(農文協)