「秩父リゾート」とはなんなのか

はじめに

 1987年5月に成立したリゾート法(正しくは総合保養地域整備法)に基づき秩父リゾートが地域指定を受けたのは1989年3月10日であった。『リゾート危険白書』(マルジュ社)などによれば、秩父リゾートは、特定地域がのべ99000ヘクタール、総事業費938億円、完成予定西暦2000年、主たる事業主体は秩父開発機構(埼玉県をはじめとする第三セクター)、西武鉄道などという計画である。

なぜ秩父がリゾートなのか?

 リゾート法の地域指定を受けるためには、同法第3条の規定をクリアすることが必要となる。それは、

 (1)良好な自然条件を有する土地を含み、かつ、特定施設の総合的な整備を行なうことができる相当規模の地域
 (2)自然的経済的社会的条件からみた一体性の確保
 (3)特定施設の用に供する土地の確保の容易性
 (4)相当規模の特定民間施設の整備の確実性の確保
という条件である。

 (1)と(2)については、秩父地方は元来「良好な自然条件」や地域的「一体性」を持っており、埼玉県内でリゾート法の地域指定を受けるには格好の、しかも唯一の地域である。しかし、それだけで地域指定を受けられるわけではない。というより、そんなことははっきりいって実際のところどうでもいいのである。重要なのは(3)と(4)の二つの条件である。

 リゾート法の制定の国際的背景として、アメリカとの経済摩擦の緩和のための「内需拡大」という政策課題があった。国内ではこの間、バブル経済の拡大による巨大な金余りの中で証券と不動産への大企業による投資が殺到した。この間、大企業は本来の企業活動にまして、証券や不動産に資金を投入し、ふくれあがった資産を隠蔽すると同時にそれら「含み資産」のさらなる拡大を図ってきた。それを金融面から支援したのが埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)をはじめとする大手銀行であったことは、今やはっきりしている。

 リゾート法とは、東京など大都市であふれかえった不動産マネーを、「良好な自然条件を有する」地方へ流し込むために、中曽根内閣時代に定着した「民間活力の導入」の手法を使って、税制・資金面で大企業への優遇措置を講ずるとともに、乱開発に対する各種の法的な歯止めをとりはらうための法律であった(注1)。
 したがって、「特定地域の民活熟度が、承認されるか否かを決める」(佐藤誠『リゾート列島』岩波新書)現実の中で、リゾートブームに乗り遅れたくない埼玉県と秩父でのひともうけをねらう西武鉄道との思惑が一致したことにより、上の(3)と(4)の条件がクリアされたのである。
 法制定から2年もたたない間に地域指定にまで到ったのは、自治体や地域住民によって秩父リゾートへ向けた構想が以前から練られていたからでもなければ、地域からの運動の盛り上がりがあったからでもない。
 他の地域同様、秩父の場合も、「『リゾートとは何か』など、誰も関心がないし、そんな悠長なことを考えていたらはじき飛ばされるので、突撃しながら考えよう、とりあえず用地を押さえ企業進出の水路をあけようというのが実態であった」(前掲『リゾート列島』)だろう。
 (注1)なぜそのように断言できるのかについては、宮本憲一氏らによる座談会「日本環境報告」、同「日本の自然と地域開発」(いずれも本多勝一『貧困なる精神』第E集所収)などを参照されたい。

秩父リゾートの「基本理念」とその実態

 秩父リゾートが上のような埼玉県と西武鉄道の思惑から出発しているのだから、その基本理念が無意味な美辞麗句をつなげたものになるのは当然である。
 埼玉県が出した「総合保養地域の整備に関する基本構想」(1989年3月 以下「基本構想」という)は、「これからの新しい社会に対する一つの浄化作用としての人間の再生、活性化機能を果たしつつ人間社会の創造にインパクトを与える」などとほとんど意味不明の理念を述べている。
 1992年の時点で長尾根にできあがったものを見ると、コンクリートを敷きつめた広大な道路(「スカイロード」のこと)、東京郊外にある西武鉄道経営のものと同じような(入場料はべらぼうに高い)プール、高い駐車料、芦ヶ久保にあったのと同様のスケート場、利用料金の高いテニスコート(夏はさぞ暑かろう)などであり、その後まもなく会員制のゴルフ場の建設が始まった。これらのどこが「人間の再生」になるのであろうか。

 秩父の農民の歴史は雑木林とともにあった。江戸時代の秩父は決して豊かなところではなかった。金納だった年貢は他の地域より相対的には低額だっただろうが、生産条件は平野部よりはるかに劣悪だった。19世紀前半に編纂された『新編武蔵国風土記稿』を見ると、秩父地方の産業は「農桑」がほとんどであり、農業の合間に男は薪炭の生産、女は機織に従事することによってかろうじて現金収入を得ていたことが記されている。
 また、山論(里山の立木伐採にともなうトラブルや境界をめぐる裁判)の事実を記した近世史料も多いが、これは刈敷(落葉や草を牛馬糞と共に発酵させた肥料)の原料や、薪炭の原料を供給した里山が、秩父の農民にとって死命を決する存在であったことを意味している。

 キノコ狩りの歴史を記した史料を見たことはない。しかし、キノコ狩りというレクリエーションは、私が考えるところでは非常に近世の時代相を色濃く残したものである。
 文化的・経済的に一体性をもつ地域は、キノコの呼び名においても、また嗜好においてもほぼ同様の一体性を示す。たとえば、栃木県でチタケの名で異常な人気を博すというチチタケは秩父でも普通に発生するが、当地ではほとんどかえりみられない。一方、秩父地方で最も好まれるウラベニホテイシメジ(「イッポン」という地方名で呼ばれる)は西上州においても同様に呼ばれ、好まれているという。それは、秩父事件が広がった地域とも重なっている。
 このレクリエーションは、いまなお秩父地方の一部の住民のなかで熱狂的に受け継がれている。キノコ狩りの舞台となるのは、薪炭材でもあるコナラ・クヌギ・クリなどの雑木林のなかであった。秩父困民党の山林集会が行なわれたのも、蓑山や、粟野山、和田山のような里山だった。経済面だけでなく、文化の面でも農民の暮らしは雑木林とともにあったのである。

 雑木林は自然林ではない。10〜20年ほどのサイクルで定期的に伐採したあと、ヤブを形成する雑多な低木やスズタケや下草の刈り払いを続けることによって、美しい雑木林が作られる。
 こうした歴史をもつ雑木林をなぎたおして土壌をかき回し、コンクリートや芝生という名のエセ緑を貼りつけるというおぞましい営為を「人間の再生」と称する商魂には恐れ入るばかりである。

「適正な価格」と「地域の振興」

 秩父リゾートは、1992年現在、長尾根地区の開発が先行していたが、それ以外に、西秩父地区、長瀞地区、三峰地区の合計4地区を「重点整備地区」として開発する計画になっていた。私が目撃した範囲では、三峰地区に含まれる大滝村中津川奥の開発がすでに始まっていたし、宝登山の山腹をはげ山にしているゴルフ場や野上のゴルフ場なども秩父リゾートの一環としての「特定民間施設」なのである。

 建設される施設は大きく、「特定民間施設」と「特定民間施設以外の特定施設」(以下「特定施設」という)に分けられる。
 すでに開発が進んでいる長尾根地区を例にとると、西武鉄道が建設したプールなど一連のレジャー施設が「特定民間施設」であり、野外劇場、小音楽堂およびスカイロードなど埼玉県が建設した施設が「特定施設」になっている。
 長尾根には、今後「人工芝スキー場」、「ロープウェイ」、「遊覧鉄道」などが「特定民間施設」として計画されている。しかし、1992年の段階で動きだしていたのは、田村から長留にかけての尾根西側に作られる前述の西武ゴルフ場(会員制)だけである。これらの「特定民間施設」建設にあたっては、建設主体となる民間企業に対する種々の優遇措置がとられ、開発にともなう諸規制が緩和されている。そのことへの見返りとして、それらの企業は「適正な価格で質の高いサービス」を提供し、「地域の振興、活性化に資するよう」(「基本構想」)な配慮をすべきものとされている。

 それでは、これらの民間施設でどのような「配慮」がなされているか。
 長尾根の事例から検証してみよう。以下はすべて開業年度の数字である。
 「プール」の入場料は大人2000円、小学生1000円である。だが、この料金を払えばすぐにプールで泳げるわけではない。交通不便な長尾根に行くには、一般的には自動車を使うほかない。ところが現地には駐車料500円の有料駐車場しかない。また、水着を着て出かけるわけにはいかないから、着替えのためにコインロッカーを使わざるをえないが、これに300円かかる。そのほか、 ビーチパラソル(3000円)、サンデッキ(1500)円、ゴムボート(1時間700円)などを利用して、家族4人で1日遊ぼうものなら、大変な散財になるだろう。ちなみに、すぐ近くの別所地区にある市営流水公園のプールの入場料は、大人410円、子ども200円(いずれも税込)である。

 テニスコートの場合はどうか。
 コートの利用料は1時間1500円、1日5000円であり、ラケットなど一式を借りると夏は2000円、冬は3000円かかる。ここにはテニススクールもあって、90分のレッスンを週1回8週受講すると土日コースだと13000円、平日11000円の受講料である。
 これらの料金のどこが「適正な価格」だというのだろう。

 また、自動車を運転できない人が長尾根に行こうとすれば、西武秩父の駅から西武の「シャトルバス」を利用することになる。1992年春までのダイヤによれば、このバスは西武秩父とミューズパークの「スポーツの森」との間に1日に16便(往復32便)走っていた。
 ミューズパークは、音楽堂など埼玉県の施設と上記の西武鉄道経営の施設とにわけられるが、「シャトルバス」は西武の遊園地までしか行かない(本稿執筆当時の状況)。したがって自動車をもたずに音楽堂などを利用しようとする人は、このバスで「スポーツの森」まで行き、さらに「スカイロード」をえんえん歩かなければならない。
 つまりこのシャトルバスは西武鉄道経営の遊園地を利用する人だけを対象に走っているのであり、安価で一定の質の高さの文化的なイベントをも開催している県の施設を利用したい人は徒歩で山を登るか、タクシーに乗るしかないのである。(注2)
 さらに、このシャトルバスは影森から巴橋を渡り長尾根峠へ登ってミューズパークへ向かう。このバスが通過する秩父市大字久那と大字別所は秩父市内で唯一公共交通がまったく存在しない地域である(他の地域とてとても十分とはいえないが)。「地域の振興、活性化に資する」というなら、シャトルバスの路線内の久那・別所地区にいくつかの停留所くらいつくるべきではないか。ところが、これは「シャトルバス」なのだというだけの理由で、このバスは西武秩父駅と西武の遊園地にしか停車しない。客がひとりもいなくてもダイヤどおりにシャトルバスは運行されている(実際客が乗っていないことが多い)。久那・別所地区には排気ガスだけを残して。
 これが長尾根リゾートの「適正な価格で質の高いサービス」や「地域の振興、活性化」の実態なのである。

 (注2)1995年春現在、シャトルバスのごく一部の便が「ミューズパーク中央」まで入っている。

長尾根ゴルフコース

 「バブル経済」の破綻前は、リゾートといえばスキー場かマリーナの金太郎飴だった。長尾根リゾートの場合は、長期滞在型とはとてもいえない施設内容のため日帰り型「リゾート」たらざるをえない。そうするとここにお決まりのゴルフ場が設置されることになるのは必定である。

 秩父市およびその周辺にはすでに多くのゴルフ場が営業している。今建設が進んでいる「長尾根ゴルフコース」の立地する小鹿野町大字長留には目と鼻の先に別のゴルフ場があり、長留地区はゴルフ場に包囲されたといっても過言ではない。
 埼玉県ではゴルフ場の新規造成に対する一定のガイドラインを設けており、そのガイドラインに従うならば長尾根地区にゴルフ場は建設できないはずなのだが、リゾート対象地区は例外だという不明朗な規定があるため、このようなことが可能になっているのである。

 さて、このゴルフ場の経営者は「西武鉄道株式会社」(取締役社長仁杉巌)、すなわち「ミューズパークスポーツの森」と同じ会社の経営である。立地の場所はご存じの方も多いと思うが、プールやテニスコートのあるかつての稜線の西側、すなわち長尾根の小鹿野町側の斜面である。造成工事は1992年から始まっており、1993年の秋には完成ということだった。スキー場もそうなのだが、ゴルフ場というのは自然の斜面をそのまま利用するのではなく、盛土・切土によって地形をほぼ完全に変えてしまうことによって作られる。したがって造成地の表面土壌は完全に破壊される。

 西武鉄道株式会社の説明によれば、このゴルフ場は1989年9月に「造成申出書」が提出され、同年10月に地元に対する「説明会」が行われ、翌1990年11月に「立地承認」がなされた。その後1991年9月2日に関係住民、すなわち秩父市大字田村、大字別所、大字久那、小鹿野町大字長留、大字般若の住民を対象にした「環境影響評価準備書の概要」の説明会が行われた。
 この「環境影響評価」についてはその「準備書」の閲覧が行われたのだが、多忙のため私はその閲覧を果たすことができず、説明会に参加することしかできなかった。ここでは、そこで配布されたパンフレットおよび口頭での説明からいくつかを紹介しよう。

 なお、この「環境影響評価」は県などの第三者が実施するものではなく、会社名は失念したが、西武鉄道株式会社の依頼により「環境への影響は軽微である」旨を独断的に「評価」する営業を行う会社が行なっているものであり、客観的根拠はほとんどないと思われる。
 『(仮称)長尾根ゴルフコース(ショートコース)造成事業に係る環境影響評価準備書の概要』(以下『概要』という)によれば、「計画地内には天然記念物等の貴重種はないが、注目すべき種としては、フモトシダ・・・・(略)が確認された」とし、「トウゴクシダ・・・・(略)の3種は計画地内の他の生育地に移植し、保全を図ることとしている」とのことである。
 「貴重種」あるいは「注目すべき種」というようなランク付けがどのような意義をもつものとして使われているかは不明だが、住民や子どもたちにとって大切なのは、そのようなランクにかかわらずそこにその植物が生育しているということではないか。トウゴクシダがゴルフ場の一画に設けられた庭の片隅に生えていたのでは何の意味もないと私は思う。

 ゴルフ場造成地はコナラ林が65%、植林地は24%を占め、典型的な「秩父の里山」の様相を呈している。
 人口林とはいえコナラ林の四季はえもいわれず美しい。春の芽吹きは萌黄色にかがやき、初夏から夏の樹冠は地面を覆い、しっとりした腐葉土を醸し出す。秋口のサクラシメジ、ウラベニホテイシメジ、タマゴタケから晩秋のムラサキシメジまで雑木林の宝石ともいうべきキノコを育て、紅黄葉と落葉を続けざまに見せたかと思うと、真冬には真っ青に澄んだ空を背景に、葉をすべて落とした幹と枝の心安らぐ幾何学模様を作り出す。

 ところがここのコナラ林は半分以上が伐採される。また長尾根にはわずかながらモミ林があり、そこではキノコ狩り愛好者が見つければうれしくなるアカモミタケやヒメサクラシメジが晩秋に発生する。アカモミタケは西武秩父駅などでは「ハツタケ」と偽って売られているが、ハツタケにまさるとも劣らない美味なキノコである。
 モミ林は木の大きさ(最大で幹周り2.2m)からいっておそらく天然林であろう。このようなところは、秩父市の住民にとっては天然記念物にしてもおかしくないところであり、そうであれば最近の「バッファーゾーン」(保護すべき植生の周囲を緩衝地帯として保護する)の考え方からすれば、長尾根の雑木林は手をつけずに残すべきだともいえる。『概要』は、「モミ林及び大径木(モミ1個体)の位置は、残存樹林内であるため保護・保全が図られる」などといって「保護・保全」を強調しているが、なんのことはない。伐採予定地外だから切らないまでのことなのである。

 かくて、『概要』は、「造成による改変が計画地周辺の植生に対し著しい影響を及ぼさないよう、十分に留意して実施することから、秩父ミューズパーク全体の植生環境に対しても造成等の影響は軽微であると予測され、さらに、植栽計画においても公園内の植栽環境との整合性を考慮しており、良好な公園空間の形成が図られるものと判断される」と結論する。わかりやすくいえば、造成後残った雑木林やスギ林にはたいした悪影響はなく、造成地には植木を植えるのだからゴルフ場の見栄えもさほど悪くならないだろうということである。

 しかし、私が言いたいのは、クリ・コナラを中心とする雑木林のもつ里山らしい雰囲気や、タチツボスミレ、ギンラン、キンラン、シュンラン、イカリソウ、チゴユリなど、春浅い林内に咲く、「貴重種」でなくも私たちの心を豊かにさせてくれる可憐な花々、秋に出る各種のキノコなどの山の幸、さらにシイタケ栽培や炭焼きなどの里山の生活文化をこそ、子どもたちに残していかねばならないということである。
 『概要』は「植生荒廃の兆候が認められた場合、速やかに対処する」とも述べている。この点につきだれが「兆候を認め」るのか、西武鉄道株式会社に質してみたところ、「行政からきびしく指導を受けて造成するので荒廃はありえない」との回答だった。要するにいったん造成してしまえば植生の変化などだれも監視するものはおらず、声なき植物は消え去るのみだということである。

 開園3年目を迎えたミューズパークの道路ののり面には、タケニグサが繁茂し、我が世の春を謳歌している。ちょっとした潅木ほどにもなるケシ科のこの毒草は、造成などによって荒廃したところに真っ先に侵入して群落を作る。大空襲直後の東京に最初に生えたのもこの草だったそうだ。タケニグサには悪いが、荒廃の象徴としてのこの草が今のミューズパークにはもっとも似合っている。

おわりに

 バブルの崩壊と長びく不況によって今や「秩父リゾート」を叫ぶものは少なくなった。しかし、「秩父にリゾートがくる」とうかれ回ったのは恥ずべきことだったという反省の声は聞こえてこない。
 リゾート法が廃止されない限り、「秩父リゾート」がふたたび息を吹きかえすおそれは十分にある。「秩父リゾート」の愚をくりかえさせないためには、われわれ自身が秩父の自然を知り、できることをするところからはじめなければならないだろう。

本稿は秩父歴史教育者協議会(秩父歴教協)のの会誌『秩父の社会科』第4号(1995,2発行)に収録したものである。

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