14世紀イギリスでおきたワット・タイラーの乱のイデオローグといわれるジョン・ボールと、19世紀イギリスの社会主義者、ウィリアム・モリスとの対話。もちろん、モリスの創作である。
中世史の最近の記事
御成敗式目とはいかなる法で、制定以来どのような扱われ方をしてきたのかを解説した本。
18世紀後半ロシアにおける大規模な農民戦争を描いている。
戦国時代を含む中世の民衆生活を、制度と実態から生き生きと描いている。
中世社会に関する論考集。
中世の暮らしと社会や風俗について、さまざまな角度から論じている。
この時代は近世に接続する時代だが、史料は非常に少なく、生活の具体層はほとんどわからない。
鎌倉時代から室町時代にかけての地域社会については、史料が少なく、はっきりしたイメージを作りにくい。
しかし、登場人物にまつわるエピソードだけが歴史なのではない。
歴史は、地域社会の変容の歴史が基本だと思っている。
武士(荘官・地頭)の荘園支配とは、具体的に何を支配していたのかを明らかにした書。
太平記をめぐる日本史の認識について、縦横に論じた興味深い本。
公家・武家とともに中世権力を構成した寺社勢力についての概説。
いずれも興福寺別当を務めた教覚・尋尊という二人の僧の視点から応仁の乱を描いた本。
享徳の乱から関ヶ原まで、約150年間の関東の戦乱史。
後醍醐天皇と彼の評価について、従来の説を大きく転換させた書。
1960年代後半に刊行された『日本の歴史』シリーズの第9巻。
数種類存在する職人尽絵から、歴史的にどういう事がわかるかをわかりやすく説き明かした講義録。
鎌倉時代から南北朝期ころにかけて、秩父地方に群居した丹党に関する論考。
この時代の秩父のようすを知ることができる好著である。
中世における異形の人々に関する史論集。
佐々木道誉の評伝。
14世紀から16世紀にかけて、環東・南シナ海で縦横に活動した人々に関する考察。
中世社会の景観を現在に見る紀行。
鎌倉時代の政治史。
平安時代から鎌倉時代にかけての、文化を中心とした通史。
教科書的にまとまっていてわかりやすい。
平氏政権の実像について詳しく語った書。
武士政権であるにもかかわらず貴族政権化したため、平氏政権が関東を始めとする在地武士から離反された、という理解に修正を迫っている。
平安時代中ごろから江戸時代始めにかけての、武将を中心とした人物誌。
古琉球という国家のアウトラインを素描した書。
国家や民族の概念の修正さえ、迫ってくる。
「金売り吉次」を描いた歴史小説。
小説だから、荒唐無稽と思われる部分も多々あるが、平泉政権と陸海を結ぶ商人ネットワークとの関係が描かれている。
社会の発展法則なるものが、マルクスらの言うような形で存在するかどうかは疑わしいが、古代・中世と呼ばれる社会が、文明国家に共通して存在するのは、間違いなさそうだ。
中世は、徳政令が出された時代だから、借金に苦しむ民衆を描いた本かと思ったが、土倉など室町時代の金融業者の実態を解説した本だった。
源頼朝は東国武士政権の創始者だが、歴史の授業では、頼朝の権力基盤について、きちんと説明されているとは言いがたい。
伊豆で挙兵した頼朝の麾下へ東国武士たちがはせ参じたという言い方だと、東国武士政権が畿内政権から自立するに至る歴史の流れをつかむことができない。
ずっと以前には、在地の史料が少ない中世は、今ひとつ掴みどころのない時代という偏見を持っていた。
歴史のバックボーンは社会構成史だと思っていた時代には、中世史を学ぶ意義についてさえ、疑問を持ったことがあった。
しかし実のところ、中世は、人々が生き生きと生活していた、じつに魅力ある時代である。
「どこからどこまでがウチの国のものなのに、勝手に立ち入るとはケシカラン」
「それに対し憤懣に耐えぬようなものは『日本』人の資格はないから出てけ」
というような笑うべき言説が横行している。
中世の道と橋に関する概論。
とくに、橋について詳しい。
東国武士政権=鎌倉幕府は、源頼朝死後ずっと、内紛続きだった。
前代未聞のモンゴル侵入に見舞われた執権北条時宗の時代も、同様だった。
『中世都市鎌倉を歩く』の類書だが、切り口が同じでないので、こちらも一読の価値はあった。
関東地方で山を歩いていると、至るところで見る板碑についての概説書。
やはり類書がないので、助かる本である。
主として鎌倉時代から室町時代にかけて、神仏習合の理論がどのように変遷してきたかをあとづけた書。
支配者・民衆の信仰実態については、ほとんど書かれていない。
主として鎌倉時代から戦国時代までの鎌倉の歴史。
この本を読むと、鎌倉に行ってみたくなる。
中世という時代の魅力は、民衆が自分の人生を生き生きと生きている点にあると思う。
いつの時代にも、民衆は生き生きと生きていたのだろうが、中世の史料からは、支配され管理されるだけでない、民衆の姿を、垣間見ることができる。
もちろん、たとえば近世と比べて、中世の方がリスキーで残酷な時代だったことは、事実だと思う。
列島の民の心の歴史を明らかにする試み。
史実と論理によって、平安〜鎌倉期の神仏習合の実態と意味を説き明かしている。
熊野は海と山という、二つの顔を持ち、文化的にも一つのまとまりを持つ地域である。
古代に、山人・海人のどのような生活が営まれていたかがさほどわからない反面、独特の信仰が胚胎していたことは、かなり明らかになっている。
世界を認識することによって、人のよりよい生活に資するために、科学と陰陽道は同じように、天体や自然現象を分析する。
日本人の精神生活の中に修験道が大きな存在だったのは、秩父に限ったことではないだろう。
古代末から中世にかけて殷賑を極めた熊野古道を、どのような人々がどのように歩いていたのか、文献に基づいて概説しています。
「行基図」と称される日本図を手がかりに、中世の日本人が日本の国土をどのように表象していたかを解明した本。
中世民衆史の魅力は、そこに登場する人々の表情が生きていることだと思います。
歴史的制約を受けながらも、場合によっては歴史を突き抜けていきそうな不定形ささえ、感じられます。