水野祐『日本国家の成立』

 縄文時代から説き起こし、記紀の記述を分析しながら、飛鳥時代までを、描いている。

 三内丸山も、吉野ヶ里も、稲荷山古墳の鉄剣も、まだ知られていなかった時代の列島国家形成史として読む。
 ハイライトはやはり、継体朝・欽明朝あたりに関する分析だろう。

 ヤマトの王権とは、大和盆地周辺を支配する権力で、配下の豪族に擁立された存在だった。
 著者によれば、専制君主をめざした雄略が死去したのち、後継者たるべき仁徳・雄略の関係者がことごとく謀殺され、擁立すべき君主が見当たらなくなった。
 ここで立てられたのが、履中の孫娘にあたる飯豊大王なる女帝だったと著者は言われる。

 記紀には、清寧・仁賢・顕宗と、歴史的に全く存在感のない天皇が続き、武烈狂帝へと続くことになっている。
 著者は、この四代はすべて、女性が大王位についたという史実を記すことを苦慮した記紀の編集者が創作した大王であると述べられる。

 飯豊大王以後再び、大王位の空白が生じる。
 記紀作者はここでも、苦しむことになる。

 著者は、継体の血統的な正当性に異議を唱えてはおられないようだが、実際のところ、継体ほど怪しい大王はいない。
 諸豪族から擁立されようとした人々が、続々と大王就任を拒否したとか、応神五世の孫で越前在住だった継体が、大王就任は承諾したものの、大和に入ることを拒否したなど、推理家にとっては楽しすぎる無茶を、記紀は描いている。
 近年の研究でも、「応神五世の孫」論が、何の裏付けもなく事実のように描かれているのは、得心しがたい。

 新しい史料が見つかることはほぼないだろうから、せめて、「応神五世の孫」論に確たる根拠はないくらいのことが常識でなくては、おかしいのではないか。

(1968,10 講談社現代新書 2026.11.2 読了)

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