管野すが・幸徳秋水を中心に、明治の社会主義者群像を描いている。
帝国議会開設後の旧民権派の活動をすべて否定しようとは思わないが、彼らがほんらい実現しようとしていたことが実現していないのに、闘うことをやめて支配秩序内の一つの環として秩序に寄生するようになったという評価を禁じ得ない。
民権派のめざしたことを継承したのは、明治末の社会主義者たちだったと考えるしかない。
民権派より一世代あとで、大杉栄より一世代前が、明治の社会主義者たちだった。
彼らの思想は、必ずしもマルクス主義でなく、キリスト教的な人道主義が主流で、アナキズムもまた、社会主義派の有力な思潮だった。
さまざまなバリエーションを併存させた初期社会主義者群像は、それ自体とても興味深い。
そんな中、幸徳秋水は、中江兆民の弟子でもあり、自由民権思想の継承者の位置にあった。
多彩な社会主義者とつながりを持った秋水は、アナキズムに傾倒していく。
苛烈な弾圧により、言論活動がほとんど不可能な状態だったという背景があり、彼を責めることはできない。
ただ、無政府主義が、変革の道筋を考えないという点で、一種の思考停止だったのは事実だろう。
秋水の思想は、大杉栄らに継承されるが、本書が描く「赤旗事件」に出てくる大杉は、児戯に等しい跳ね返り者にすぎない。
恐ろしいのは、治安法令の制定や大逆事件のフレームアップの黒幕が山縣有朋だったという事実である。
秩父事件の短期間での鎮圧は、山縣の迅速な対応なしにはありえなかった。
山縣の後継者が現政府のどこかにいると考えると、ぞっとする。