個人と社会の関係はどうあるべきかを論じた古典的著作。ただし、新しい訳である。
19世紀半ばに書かれたとはとても思えないほど、内容は新しい。
著者は、個人の思想的自由は、個人にとって至高の価値を有するゆえに、社会や多数派により毀損されてはならないことを主張する。
この人は、国家による思想的圧迫を主として糾弾しているのかと誤解していたが、そうではなく、あらゆる思想的圧迫は悪でありあってはならないと述べている。
主張の根本には、個人の多様性を絶対視する人間観がある。
多様性の絶対視という思想は、日本という国家で生きる人にはあまりにレベルが高い。
声の大きな人々は、その社会的評価に反して、ものごとを理性的に考える能力に欠けていることが多く、あまり考えない人は追随することが美徳と考えているフシがある。
考える前に叫びだすような人が選良だというのだから、度し難い。
そのような意味で、本書には、汲めども尽きぬ至言が満ちている。
自由は基本的に、対国家観念かと思うが、ミルは必ずしも対国家だけでなく、対世論における自由をかなり強く意識している。
自分の知性がどんな結論に達しようと、とにかく自分で考え抜く。それが思想家の第一の義務である。
これも新しい発見。
日本においてポピュリズムが問題となり始めたのは2010年代以降かと思うのだが、ミルが1850年代に発したポピュリズム批判は、そのまま現代日本に通用する。
ミルの教育論は、教科書検定訴訟で原告が展開した理論そのものなのだが、同訴訟で上級審が展開した論理には、
という批判をそのままあてはめることができる。
国が教育全体を管理することは、国民のすべてを一つの鋳型にはめようとする企てにほかならない。
明治の自由民権家が本書を愛読したというが、訳も異なっていただろう。
彼らはこの本をどのように受けとめたのだろうか。