石母田正『歴史と民族の発見』

 学生時代に読んだ本を、古希にして読み返す。

 正直言って、最初に読んだときにも、それほど強い印象を持たなかった。
 今回再読して、これではちょっとダメだと感じた。

 本書は、1950年代に行われた国民的歴史学運動において、バイブル的に読まれた。
 歴史は、研究者がアカデミズムの塔にこもって書くのでなく、地域民衆自身が調べて書くべきであるということを主張したもので、歴史学自身の自己変革を宣言した書だった。

 この運動の中で、東京都立大学歴史学研究会の学生たちが、秩父事件を調べるために吉田町石間に調査に入った。
 数日間にわたる調査の中で彼ら・彼女らは、調査の結果を『石間をわるしぶき』と題する小冊子にまとめ、石間地区に配布した。
 この冊子がどのような反応で迎えられたかは、よくわからない。

 歴研の部員の一人に、秩父出身の中沢市朗氏がいた。
 彼は、秩父事件について聞かせてほしいと言って訪れた加藤織平宅で、返事さえしてもらえない応対を受ける。
 このときの思いが、中沢氏を秩父事件研究者へと、いざなっていった。

 同行したメンバーに加藤文三氏がいた。
 加藤氏は、大学卒業後、中学校の教師となり、地域に根ざした教育実践を生みだしていく。
 加藤氏のやり方は、石母田氏のこの本にある、「村の歴史・工場の歴史」をほぼそのまま、教育活動に活かしたものだった。
 この実践は、同氏の教育実践集・『石間をわるしぶき』(地歴社)に収録されたが、学生だった自分には憧れと言うべきすぐれた実践だったと思う。

 「村の歴史・工場の歴史」そのものは、歴史の学び方・教え方として、決して間違っていたとは思わない。
 しかし、歴史研究のあり方としては、どうだろうか。

 そのひとつは、性急な実証主義批判である。
 石母田氏は、政治主義的な歴史家ではなく、実証的な歴史を詩情豊かに描く人だと思う。

 しかし、マルクス主義に対する懐疑的な見方があまりなかった(少なくとも大勢としては)時代をも反映して、論立てが雑だと思う。
 マルクス主義の原則に照らしてどうなのかという論立ては、学問の世界全体の中では、ちょっと通用しないだろう。

 有職故実のような思想のない実証主義はもちろん、否定されるべきである。
 しかし、あるべき実証主義とは、歴史を貫く時代の精神をより鮮明に捉えるための、妥協なきアプローチであるはずだ。

 それを明らかにすることになんの意味があるのか、と思われるような議論は読んでもつまらない。
 いっぽう、問題意識だけが先走ってるような議論にも、辟易せざるを得ない。

(INBN4-582-76458-4 C0321 \1500E 2003,2 平凡社ライブラリ 2026,2,17 読了)

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