上下合わせて1400ページに及ぶ昭和陸軍史の下巻。
戦闘の具体的な経過を現場に即して記述されているとき、著者は涙されていたのではないかと思えるほど、事実をどこまでもリアルに書かれている。
上巻の感想でも述べたが、著者は、記録だけでなく、参謀本部の参謀や現場の指揮官・兵士に直接会って話を聞き、事実に迫ろうとしている。
断片的な体験記であっても、戦争の記録は真に迫るものであるが、これだけ立体的に記述されると、個々の戦闘がどのようにして計画され実行されたかが、わかりすぎて苦しい。
理不尽な死というものへの憤りが、どの行にも詰まっている。
シベリア抑留の経過については、今まで刊行された書物とは、ある程度距離をおいて書かれている。
それは、ソ連側史料の出され方に不自然さがあるからである。
体験者の中に、労働力提供という形での事実上の棄民が、大本営参謀の一部によって提案されたという主張がある。
著者は、北海道占領をアメリカにより阻止されたことによってスターリンの考えが変わり、それなら捕虜を事実上の奴隷として連行し使役しようということになったのではないかと述べられている。
この点につき、決定的な史料はないと思われる。
上下巻を通して言えることだが、帝国陸海軍の幹部育成システムにはいくつかの欠陥があり、それらの欠陥が修正できないままに、引き返すことのできない戦争へと進んでいった感がある。
大正以前の将官・将校がどうだったかについて、自分がわかっているわけではないが、昭和以降の将官・将校が自分たちの仕事に対し、どのような責任感をもってあたっていたのかを考えるとき、その点は徹底的に反省してもらう必要があるのではないかと思う。
政治のシステムのなかの軍(自衛隊)の位置づけは現状、明確になっているが、国民に中にそのことへの理解がきちんと定着しているのかも、怪しい。
退役した自衛隊の将官がずいぶん無責任なことを言っているのを見ると、現役自衛官幹部の中にもこのような感覚が蔓延しているのかもしれないとも感じる。
さらに、国民の中に、戦争をいわばゲーム感覚で論じる傾向が顕著になっているのは、憂慮すべき事態である。