1950年代以来の共産党員のメモランダム。
著者は、共産党に入党後まもなく、「所感派」に属していた京都の共産党から排除されるという体験を持った。
著者とは真逆の立場で同じ体験をした人もいるだろう。
多くのセクトに共通する純化と排除の論理は、左翼において特に甚だしい。
1950年代には、それでも心折れなかった人々も少なからず存在した。
共産党になどさっさと見切りをつけて、現実重視の道を選ぶほうがよいと思う人もいただろうし、共産党以外の革命路線をさらに探求しようと思う人もいただろう。
大会は、不当に党から除名され、追放されたまま、いまだに党の戦列に関わっていない同志諸君や、この期間に党から離れ去った同志諸君に心からの友愛と党への復帰を訴える」
著者の世代は、崩壊した共産党を再建し、職場や地域における地道な活動を通じて各種の運動を組織し、自治体の議会や首長で地歩を着実に固めつつ、党の組織をも建設していった。
1960年代末から1970年代初頭にかけて、共産党の成功を作り出した世代と言える。
現在の共産党は、硬直化した方針と組織活動をアップデートすることができず、純化と排除の道を突き進んで自滅しようとしている。
方針転換は難しいだろう。
著者から感銘を受けるのは、そんな中にあっても、敢然とアップデートに挑まれている点である。
一点共闘という選挙方針は、純化と排除の真逆なのだが、じつは住民多数の意思を実現するやり方でもある。
あらかじめハードルを設けて、そのハードルを越えてきたものとしか手を結ばないと言い出せば、現状は変わらないかむしろ悪化する。
自由民主党に安心感があるのは、純化と排除と無縁に見えるからだろう。
著者らが沖縄に学びつつ、大山崎町で模索してきた一点共闘は現に実を結んだし、ここにしか可能性はないように見える。