廃仏毀釈について、各地の事例をもとに考察している。
廃仏毀釈は、維新期におきた宗教的パニックだった。
やや前の慶応三年には、ええじゃないかが起きている。
これら二つの宗教的パニックに、直接の関連はないと思われる。
ええじゃないかについては、権力側による命令や動員はなかったから、おおむね、民衆の中から自然発生的に起きたパニックと言えよう。
廃仏毀釈は、明治政府から出された神仏分離令がきっかけで起きた。
そもそも、神仏分離令そのものが観念的で、現実的でなかった。
水戸学・国学原理主義者が、脳内で考えた神道と仏教のあるべき姿を構想したのが神仏分離令であり、江戸時代の庶民生活の現実とはかけ離れていた。
江戸時代の寺院が寺檀制度にあぐらをかき、権力の末端として機能しつつ、庶民から多少の金銭を得て太平をむさぼっていたのは事実だろう。
しかしそれが、中世ヨーロッパのカトリック教会が行ったように、搾取と言えるほど酷薄だったかと言えば、そうではあるまい。
坊主は一方で、寺子屋において、子どもらに最低限のコミュニケーションツールを与えてくれたりもしたのである。
民衆側に、寺院を破壊しなければやまないほどの憎悪は、一般的には存在しなかったと思われる。
神仏分離令だけで、寺院・仏像を徹底的に破壊しようというパニックは起き得なかった。
この本により、パニックが起きるべく扇動したのは、一部の地方官僚だったことが、明らかにされている。
この説明により、廃仏毀釈の原因について、胸に落ちた。
こうして、大量の貴重な文化遺産が失われた。
おかしな命令を出す権力者と、それに乗じてポイントを稼ごうとする中間実行者にかかっから、悲劇である。
このことを忘れてはならない。