戦国時代における宗教の位置に関し、わかりやすく論じている。
問題意識は、一向一揆に参加した人々が五木寛之氏の言うように、信仰の一点で一致して戦国大名と戦ったというような認識が正しいのかという点だった。
当然ながらそのような認識は、信仰を美化するあまり、当を得ていない。
本願寺そのものが、戦国大名だったのであり、幕府や延暦寺や織田信長ら権力者との衝突を極力避けて、民衆支配を実現しようとしていたのだった。
加賀が一向一揆共和国だったという言い方は正確でなく、本願寺という戦国大名によって支配された領国だったという方がやや正しい。
本書には、戦死した門徒は極楽往生できると証如が述べている(教義に反するにもかかわらず)事実を紹介している。
本書後半には、戦国時代の武士・民衆の中に存在した天道思想について、やや詳細に述べられている。
天道思想とは、人為によって動かされることのない摂理により世界が展開しているという考えで、天(天体)の運行が人為によって改変されることはないというところから発想されたものである。
世界が人為のみによって展開しているわけでないのは事実だから、必ずしも荒唐無稽な話というわけではない。
そのことを妄想的に説明しようとしたのがキリスト教や仏教などの宗教で、科学的に説明しようとしたのが弁証法的唯物論・史的唯物論なのだと思う。