佐々木太郎『コミンテルン』

 コミンテルンの歴史をわかりやすくまとめてある。

 共産主義運動の歴史上、スターリンの時代に生じた禍々しいできごとのルーツは、じつはレーニンの時代に萌芽していたということがほぼわかっている。
 ただ、レーニンにはある程度のバランス感覚があって、スターリンのような粗暴な人間ではなかった。
 だから、バリシェヴィキー内部に意見対立があっても、論敵を殺害することによって自己の地位や路線を維持しようとする発想は、レーニンの時代にはなかったと思われる。

 コミンテルンもまた、レーニン時代の所産だった。

 レーニンの時代は、誕生したばかりのソヴエト・ロシアを守り育てる一方で、ロシア以外でも社会主義革命を起こすことが、不可分にして最大の課題だった。
 コミンテルンは、後者の課題を遂行するために創設された。

 レーニン死後のソ連は、人類史上例のない社会主義経済建設という課題において試行錯誤しつつ、大国間のパワーバランスの中で生きていくことを余儀なくされた。
 一方で、一次大戦後の民族運動の高揚は、世界革命の戦略の再構築を迫る事態だったから、コミンテルンが果たすべき役割は大きかった。

 レーニンには、もっとも適切な革命戦略を示すことができるのは自分だという自負があったのかもしれない。
 一方で、スターリン・トロツキーを含め、バリシェヴィキリーダーたちの水準にレーニンが不安を持っていたことは、よく知られている。

 レーニン死後、奪権に成功したスターリンに、ソ連と共産主義運動を率いる能力はなかったから、彼はレーニンの神格化とライバルの排除・処刑により独裁を固めた。
 コミンテルンもまた、スターリンの道具と化した。
 コミンテルンの支部すなわち各国共産党は、自国の革命を目標としていながらじつは、ソ連とスターリンの道具だったことになる。

 1920年代前後の共産主義運動の問題点について、しっかり整理する必要を感じる。
 その課題は、一義的には共産主義運動自身によってなされるべきなのだが、現状をみると、日本の共産党あたりは未だにスターリンによって行われた教義の一面化にこだわり、歴史を正視する能力を持ち得ていないように思われる。

(ISBN978-4-12-102843-3 C1222 \1050E 2025,2 中公新書 2025,5,17 読了)

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