太平天国とはなんだったのかについて、わかりやすくまとまった本。
太平天国は、幕末とほぼ時を同じくして、中国で闘われた民衆運動だった。
清の封建制の制度疲労は、末期的だった。
官僚にまともな人物が存在するのは当然のことなので、一定の努力は行われていたが、それでどうにかなるレベルではなかった。
同時代の江戸幕府も同様だった。
武装蜂起は、宗教戦争の形をとった。
民衆・下級官吏にとって、近代思想に接する機会がなかったのだから、闘いを理論化するのに、宗教の形をとるしかなかったのは当然である。
封建制下のラディカルな民衆運動は、宗教戦争とならざるを得ない。
明治初年の日本民衆にとって、近代民主主義思想は、巨大な衝撃だったはずだ。
太平天国は、キリスト教の思想により粉飾された世直し思想を核としていたように見える。
土地の公有化や、指導者のもとにおける平等思想は、革命の思想まであと一歩という印象がある。
統治制度についても、試行錯誤が行われていた。
列強は当初、反乱軍が話の分かる連中かどうか、様子を見ていたようだ。
しかし帝国主義のヒヨコたちにとって、脅しに容易に屈してくれさえすれば、支配者は反動的であったほうが都合がよい。
太平天国にとって、民主主義的なシステムを構築する方向に進むことをせず、指導者のカリスマ性に依拠して戦略を立て、統治しようとしたから、破綻は必然だった。
例えば秩父事件の武装蜂起がある程度進展していたとしても、乗り越えることのできない困難に見舞われていただろう。
鎖国の日本を訪れた列強が独立を維持し得た背景に、インドや中国の民衆運動が存在した事実を忘れては、日本の近代史を見誤る。
甲午農民戦争を含め、東アジアの民衆運動を俯瞰的に見る必要を感じる。