1670年のステンカ・ラージンの反乱に関する歴史叙述。
本の内容からは少しずれるが、歴史研究と歴史叙述とは全く別で、歴史上の概要を知りたい一般の読者にとって必要なのは、歴史叙述である。
ステンカの乱が起きたのはロマノフ朝成立後まもなくのことで、プガチョーフの乱の約100年前のことだった。
プガチョーフの乱について、農奴制に対する抵抗というとらえ方をしていたのだが、歴史家によるこの本を読むと、ステンカの乱はロシア帝国の重税への怒りではなく、カザーク(コサック)の人々による自由を求める戦いだったと描かれる。
カザークはロシアに服従し、場合によってロシア軍の一翼として戦うが、ロシアの農奴ではなく、自分たちとロシアは対等だと考えていた。
農業への依存性は農奴ほどでなく、ロシアの藩屏としての役割を果たすことへの代償として、給付を受けとっていた。
ロマノフ朝の二代目・アレクセイにとって容赦しがたかったのは、ロシアの版図からカザーク居住地へ、農奴が逃亡することだった。
農奴にとってそれは、重税から自由への逃亡だったから、このような事態が起きるのは、当然だった。
列島における奈良時代にも、このような現象があったのではないかと推察する。
高校生の時に、ショーロホフの『静かなドン』を読んだ。
ロシア革命に翻弄されるカザークの人々を描いた作品だったが、読んだのはもう50年も前のことだ。
身体が動かなくなったら、じっくり読み直してみたい。