プーシキン『プガチョーフ叛乱史』

 18世紀後半ロシアにおける大規模な農民戦争を描いている。

 著者は詩人・プーシキン。
 彼はデカブリストと言われるが、本書は、プガチョーフとその仲間たちを「僭称者」「ならず者」と呼ぶ。
 「僭称者」というのは、プガチョーフが自分をピョートル三世と僭称したことによる。

 『大尉の娘』のための下調べだったのかもしれない作品。

 叛乱は、1773年から1775年にかけて戦われた。
 本書に見る限り、日本で言えば世直し一揆にやや似て、ツァーリ(エカチェリーナ二世)への恩頼感はほとんど見られず、貴族階級に対し、激しい敵対感を持ち、捕虜にしたロシア帝国貴族・軍人を容赦なく虐殺している。

 ロシアは、ロシア人を支配民族とする多民族国家だった。
 ロシア中部には、バシキール人(トルコ系)・カルムイク人(モンゴル系)などの諸集団が混住し、各種民族からなるコサックがロマノフ朝の支配を受けていた。
 被支配者は農奴で、貴族により、見通せない苦難の支配を受けていた。

 本書には、プガチョーフが民衆に対し、「自由と貴族の家系の根絶と、賦役・課税の廃止、塩の無料配布を宣言した」とあり、叛乱は、土地革命や平等を要求したものと思われる。
 叛乱の規模は広大で、プガチョーフは、ヤイク川(ウラル川)とヴォルガ川に挟まれたロシア中央部をを二年間に渡って席捲した。

 17世紀のスチェパン・ラージンとともに、プガチョーフの叛乱がロシア民衆史に何を残したか、興味深い。

(1971,3 現代思潮社 2024,10,29 読了)

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