竹原素子『青雲の翳』

 加波山事件の小説集。

 井上幸治氏は秩父事件を「自由民権運動の最後にして最高の形態」と評されたのだが、その言葉は、「これがわがふるさとの事件であったことを誇りと思っている」と続いている。
 井上氏のこの評価は、『日本資本主義発達史講座』所収の論文で平野義太郎氏が「かの秩父騒動こそは、まさに、この運動の最高の発展形態である」と評されたことと響き合っていると感じる。

 これらの言葉は1980年代以降、歴史学者から集中砲火を浴びた。
 細部に論及することは避けるが、何人かの研究者が「秩父事件は本質的に自由民権運動と直接の関係がない負債農民騒擾である」という言い方をするようになり、井上氏がされたような評価は、今や風前の灯かのように見える。

 自由民権運動の再定義が必要なのではないか。

 秩父事件を自由民権運動と直接関係のない民衆運動だとする説の代表的な論客である稲田雅洋氏は、「民権家とは、民権運動を生業とする者たちのことである」と述べられる。
 冗談ではない。

 多くの人々が、日々の暮らしの中で、不条理な制度や理不尽な権力者やハラスメントに直面する。
 そこで沈黙する人もいるが、不当さに対し、声を上げる人々も多い。
 地域や職場における日常は、多かれ少なかれ、闘いでもある。

 教員としての日々の教育活動の一方で、教育労働者として労働条件や教育条件をめぐり、政治や教育行政と闘うのは当然である。
 日々の暮らしを営みながら、地域環境や自治体のあり方に問題があれば、住民運動を組織して自治体と交渉したり、自治体そのものを変えていこうとすることもある。
 闘う主体は労働者・住民であって、政治運動を生業とする者ではない。

 悲憤慷慨・大言壮語する「民権家」など無用の長物だとは言わない。
 地域の現実を深く理解し、困難に直面している民衆とともに闘う民権家が、あらまほしかったのである。

 では、悲憤慷慨した民権家たちは、評価に値しないのか。

 この時代に、各地の民権家、とくに自由党員たちが生命を賭して、自由を求めた。
 彼らが求めていたもの、実現しようとしたものの価値は、正しくすくい上げられ、評価されなければならない。

 自由とは究極のところ、個人である自己が自己であることの自由である。
 貧農であれ、豪農であれ、生産の現場から離れたプロの活動家であれ、個人としての自己の価値を自覚できるのが、近代人である。

 秩父事件に参加した自由党員も、参加しなかった自由党員も、加波山での蜂起に加わった自由党員も、ひとしく自由の実現のために闘ったと評価すべきである。

 この小説集は、加波山で闘った青年たちの心性に迫ろうとして書かれている。
 それが成功しているから、彼らの情念に共感できるのだろう。

 本書の後段に何篇かの作品ノートがあり、その中に、加波山麓・下館郊外出身の自由党員・井上桃之助の略伝が興味深い。

 桃之助は群馬事件のリーダーのひとりで、事件直前に秩父にオルグに入ったと言われている人物であり、関戸覚蔵の『東陲民権史』に、群馬事件関係の資料を提供した人でもある。
 太平洋戦争期まで生きた桃之助が群馬事件と秩父との関係を示す史料を残していないだろうか。
 

(1984,9 鹿砦社 2024,10,6 読了)

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