田中惣五郎『自由民権家とその系譜』

 自由民権運動に関わった人々の人物事典的な本。

 個々の民権家の思想的・人的な系譜を略述している。

 最近、秩父困民党の思想についていくらか考える機会があり、講座派(平野義太郎)の見解に改めて接した。

 平野は、秩父事件に関し、マルクス主義史観に基づく科学的分析の第一歩を印した歴史家である。
 平野が秩父事件を分析した当時、史料はまだまったく公刊されていなかったし、公開されてもいなかった。
 秩父事件についてある程度深く理解することができる著作としては、堺利彦のルポ的な作品(「秩父騒動」)くらいだった。

 そんな状況下で秩父事件を研究するなどできるはずがないのだが、平野は、マルクス主義の公式を明治10年代にあてはめ、秩父事件を「貧農・小作人・小商品生産者農民が、自由党による不徹底なブルジョア民主主義運動を乗り越えて決起した、真の意味での民主主義運動と規定した。
 この規定は大枠として、戦後の井上幸治氏らによる研究に受け継がれた。

 講座派理論は、激化事件の敗北により頓挫した民主主義革命運動を継承したのは、帝国議会で政府に抗した「民党」そして立憲政友会へとつながる議会政党ではなく、明治末から昭和にかけて生起した社会主義グループなのだということを含意している。
 議会政党が果たした役割を軽視すべきでないという点は、近代史研究が夙に明らかにしてきたことであり、そのとおりだと思うが、明治から昭和にかけての議会政党が持っていた、国権主義的傾向とともに、あまりにも低いその限界をも、見ないわけにはいかない。

 そうすると、平野の公式主義的な見通しが(的はずれな点も多々あるにせよ)ある程度正当だったと考えざるを得ない。

 民権家の民権運動以後の生き方がどのようなものだったかが記載されているかと期待したのだが、その点については、ほとんど書かれていなかった。
 中央の活動家(政治家・理論家・著述家)について知るうえで、本書はよい本だと思うが、在地民権家の思想的系譜や、憲法制定以降の旧民権家の生きざまについて、もう少し知りたいと思う。

(1949年11月 国土社 2024,8,31 読了)

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