岡百合子『白い道をゆく旅』

 1950年代に日本共産党員となり、苦しい分裂の時期を経てそれ以降も続いた苦闘の時期を過ごした女性の半生記。

 自分をある程度犠牲にしても、崇高な理念のために一身を捧げるという発想は、おそらく前近代(一向一揆あたりか)に淵源する。
 江戸時代にそれが純化され、明治以降は天皇制が。国民に共通の崇高な理念となった。
 その発想は、戦前期にさらに先鋭化し、最後はほぼ狂気の自爆作戦に行き着いた。

 戦後、国民がもっとも会得すべきだったのは、徹底した個人主義だっただろう。
 ここでいう個人主義はもちろん、他者を無視するという意味でない。
 他者の言い分や存在を十分に尊重し、組織とはどのようなものかを十分に理解したうえで他者や組織と関わっていくという意味である。

 獄中で戦争に反対し抜いたのはけっこうだが、それが新たな信仰の対象になったのでは、歴史が進歩したとは言えない。
 共産党自体の理論水準も低かったから、党の方針を適切に確立することができず、党は、ソ連や中国の顔色を見ながら右顧左眄する状態だった。
 党員たちは、組織の上部(戦争中であれば上官)の命令に疑問を持つことは許されず、おそらく考えることなく自分を犠牲にして活動した。

 著者のパートナーは高史明さんだった。
 彼の名著である『生きることの意味』を、若い人々にはぜひ読んでほしい。

 高史明さんは日本共産党の分裂した一方に所属し、党に忠実に活動していた。
 上部が非合法活動を命じれば、自分を捨てて、それに従った。

 ところが党は、在日朝鮮人だからという理由で、彼に離党を要求した。
 彼の苦しみの底の底を理解することができなかったと、著者は述べられているが、それほどの理不尽を受け止めることなど、どうしてできようか。
 その苦しみの中で、原稿用紙に向かったこともなかった高さんは、『生きることの意味』を書きあげる。

 再び前を向いて歩こうとしていた著者夫妻に、一人息子が自死するというとてつもない理不尽が襲う。
 ここからあとについては、著者は多くを語らずに筆を置かれている。

(ISBN4-409-16060-5 C0095 P1957E 1993年5月 人文書院 2024,8,16 読了)

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