林房雄『密偵』

 日本プロレタリア傑作選集の第一巻として1929年に刊行された短編集。

 奥付には昭和4年12月25日発行、昭和5年2月5日28版とある。
 わずか一ヶ月ほどで28刷とは、いったいどんな売れ行きだったのか、想像を絶するが、ちょっと信じがたい。

 表題作の「密偵」は、秩父自由党の村上泰治らによる、照山俊三殺害に取材した作品である。
 主人公として設定されているのは宮部襄で、泰治は、直情径行で思慮の浅い青年党員として描かれている。

 1929年当時、秩父事件の事実関係についてはほとんど明らかになっておらず、著者がどのような資料に基づいてこれを書いたのかは、わからない。
 『自由党史』はすでに刊行されていたが、伊藤痴遊の講談本あたりをを使って脚色したものかと思われる。

 著者がこの作品を執筆当時、シンパシーを寄せていた共産党は当時非合法で、指導的な幹部の中に特高警察の密偵(スパイ)を抱えていた。
 当時の共産党がスパイを殺害してもよいと考えていたわけではないが、権力の手先となって同志を売る者への怒りを村上泰治に託して表現したものと思われる。

(1929年12月 日本評論社 2024,6,18 読了)

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