平野謙『「リンチ共産党事件」の思い出』

 1933年に起きた日本共産党のスパイ査問事件から1930年代後半にかけての、日本における革命運動・反ファシズム運動に関するメモランダム。
 共産党最後の中央委員だった袴田里見の膨大な尋問調書が付されている。

 スパイ査問事件の実際について著者は知りうる立場になかった。
 しかし、査問中に死んだ 特高のスパイ小畑達夫の直接の配下にあった(著者自身も小畑に売られたらしい)という状況から、事件をめぐる状況について、思い出されることを語っている。
 この事件について、特段目新しいことは語られていないが、付録の袴田供述書には査問の様子について、ずいぶん饒舌に語られていると感じた。

 本書の後半では、1937年から1938年にかけて権力によって起こされたフレームアップである人民戦線事件や、この事件で検挙された人々の一部が関わった雑誌、『世界文化』や『土曜日』の人々について語られている。
 この部分については、運動史家による詳細な研究を待つべきと思うが、戦前の反ファシズム運動の重要な一環として、もっと語られるべきと思う。

 袴田が逮捕された1935年から1945年に非転向の党員たちが出獄するまで、日本共産党は、存在しないと同様の状態にあった(幹部だった野坂参三は国外におり国内への影響はほぼ皆無だった)。
 その間、日本の左翼陣営では、多様な形でファシズムに抗する動きが存在した。それが人民戦線に関わった人々だった。

 ほぼ同時期にコミンテルンによって提起された反ファシズム統一戦線と、日本の人民戦線が関係するというのは誤解だと、著者は強調される。
 京都の知識人たちを中心に展開された日本の人民戦線は、コミンテルンの人民戦線戦術とは特に関係なく、反戦・自由・社会民主主義などを追求しようというネットワークだった。

 ここに関わって逮捕された学者グループのほぼすべてが、かつて労農派に属して、戦後は日本社会党へとつながる人々だった。
 共産主義運動と無関係であるにも関わらず治安維持法で一斉に検挙されたのは不当極まりないことだが、ここに共産主義グループがまったく含まれていないことにも注意すべきではないか。

 孤立状態の監獄の中で反戦・反ファシズムを叫ぶだけでは、社会に訴えることはまったくできない。
 この時代に反戦を言うだけでも敬服に値するが、やや意地の悪い言い方をすればその闘いは自己満足でなかったか。

 どのような形であれ、誰であれ、ファシズムと戦争に流れていく社会にブレーキをかけようとする人々をつなぐ取り組みを、再評価すべきではないかと、著者は言っておられるように思う。

(三一書房 2024,5,31 読了)

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