木下尚江『火の柱』

 昔、岩波文庫版で読んだのだが、読み返そうとしても本の所在がわからなくなっていた。

 この小説における木下尚江の思想には、キリスト教的博愛主義と社会主義とが混在している。

 主人公たる社会主義者篠田長二は熱心なクリスチャンであり、キリスト教的博愛主義の立場から労働運動に同情的で、日露開戦直前の熱狂の中でも(小説が書かれたのは日露戦後)反戦主義を貫き、ユートピア的な社会の実現を願って演説・執筆などの活動を行っている。

 作品としては、善玉悪玉があまりにも画然としていて、人間存在の深みなどまったく描かれておらず、悪く言えば勧善懲悪小説の社会主義版と言えるかも知れない。

 主人公の篠田長二は博愛主義を具現化したような人物で一点の曇りもない。
 一方、篠田を憎悪する政商山木剛造は、労働運動を憎み、政治家や軍人にへつらいつつ、自分の営利(炭鉱)のために自分の娘梅子を高級軍人に嫁がせようとする。
 梅子は篠田を敬愛しており、父剛造の汚いやり方に強い嫌悪感を持っている。

 読み直してみて注目されたのは、山木剛造の過去だった。
 著者は、剛造はかつて大蔵官僚で、明治14年政変に際し大隈重信らとともに下野し、民権家として新聞記事を書いたり演説を行ったりした過去を持つと設定している。

 木下尚江は明治人だから、自由民権運動に直接参加することはなかったものの、運動についてある程度の認識を持っていたはずである。
 その後明治憲法が制定され、日清・日露の戦争を経て、国内の矛盾は深刻の度を増していた。
 社会主義運動が胎動し始めた背景には、民衆の苦難の原因が戦争や社会問題にあるということが明らかになってきたからだった。

 自由や権利を求めて闘ったかつての民権家たちは、そのころどうしていたか。

 帝国議会開設後、自由党・憲政党・立憲政友会(途中端折あり)と変遷した旧自由党は、無意味な存在というわけではないが、基本的には地域利害とボス政治を完成させようとしており、その中心になったのは旧民権家だった。
 民衆の犠牲の上に汚れた利を貪る資本家・政治家・軍人への怒りを代弁する反体制勢力として、社会主義勢力(ユートピア社会主義やアナキズムを含む)が台頭したのは当然だった。

 尚江がじつは、変節した旧民権家への怒りを、この作品に込めていたのだということが新しい発見だった。

 この作品が、秩父事件にふれていることは、知られている。
 篠田長二が戦死した秩父困民党幹部の子息という設定なのだが、そのような史実がないのは、『自由党史』さえ未だ刊行されていなかった時代的成約を考えればいたし方ない。
 この作品の数年後に出た『自由党史』が、秩父事件を、「一種恐るべき社会主義的性質を帯べる」と罵ったことを思えば、「圧政を変じて良政に改め自由の世界として人民を安楽ならしむ」という秩父困民党の理想を受け継いだのは自由党・憲政党・立憲政友会でなく、社会主義者たちだったということが示唆されているのは、木下尚江の勘の鋭さを示していると思う。

(kindle本 2024,5,22 読了)

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