古在由重『思想とはなにか』

 活字に触れることができれば、思想と接することができる。
 思想と接して自分なりに思惟することにより、それを発展させ、自分の思想に至ることができる。

 と考えている人が多いのではないか。

 マルクスでも北一輝でも誰でもいいのだが、思想家の著書を徹底的に読み込み、十分に理解したうえで、自分なりの新たな論点を付け加えることができれば、それは自分の思想が一歩前進したことを意味するのだろうか。

 とある人物Aがとある思想家Bに大いに影響を受け、Bの言動をなぞるような言動をなすようになれば、Bの思想が一歩受け入れられるようになったと評価できそうに思うのだが、それは、AがBの思想を理解し、Bの思想に自己を同一化したとも言えるだろうか。

 古在氏が本書を通じて繰り返し述べているのは、思想とは人格の一部であり、思想的な影響を受けるとは、その人の人格形成の一過程であるということだ。

 考える葦とは違って、肉体と生活、労働と物質にかたく結びついた現世的、人間的な「思想」

 思想から行動が、書物から生活がうまれるとでもいうのだろうか。

 人間の思想はけっして虚空の中にうかんではいない。それは人間の肉体、人間の生活、人間の労働にむすびついている。しかも人間のこのような存在がその社会と政治の条件をまぬかれず、この環境がきわめて非人間的な汚辱にみちみちているからには、それぞれの時代の思想そのものもまたこの非人間的な環境とたたかわざるをえない。真実をもとめて、これらの虚偽、これらの不合理、これらの圧制に抵抗せざるをえない。

 古在氏が述べているのは、思想は書物の中にのみあるのではなく、生活とともにあるということである。

 自由民権の思想を思い出す。

(1)
 秩父事件という壮大なドラマの中で、闘いへの協力を求めた新井周三郎と、求められた福島敬三のやりとりが残っている。

 周三郎は、門松庄右衛門とともに1884年10月2日、坂本村の敬三宅を訪れて、新井輝蔵ほか12名の自由党入党申込書に署名・捺印を求めた。
 敬三は求めに応じはしたものの、よい顔をしなかったという。
 その理由を彼は、

新井の意見は、たとえ自分の氏名を書くことができない者であってもその志さえ確かであれば、誰でも自由党に加入させることができると言った。それに対し自分は、政治思想をもっていないような者は何人いたとしても物の役に立たないと述べて、意見を異にしたのだ
と説明している。

 周三郎は生活と思想は一体だと考えているが、敬三は思想とは形而上の世界に属すると考えているらしい。

(2)
 秩父で自由党が武装蜂起すると聞いた北相木村の菊池貫平と井出為吉は、加勢のため、はるばる秩父にやってくる。しかし田代栄助から対高利貸行動が優先すると聞かされ、自分たちが考えていたのは対政府行動であり、それでは話が違うから帰ると述べた。栄助に強く遺留されている間に蜂起が開始され、武器を持った人々が椋神社に集まってきた。これを見た二人は考えを変え、それぞれ参謀長・軍用金集方に就任して困民党幹部になった。

 貫平らの考えていた自由民権思想と秩父困民党の思想はたしかに異なっていた。しかし、彼らは武器を持ち闘おうとする民衆に接して思想を転回させた。形而上的だった彼らの民権思想は、生活に根拠を持ち生活を守るためら政府と闘おうとする困民党によって形而下的で現実的なものへと深化した。

 秩父困民党が体系的で理論的な思想を持っていないから、前近代的だとか、幻想に踊らされてるのだなどという「研究」があるが、それらは思想の深みを理解しない、浅はかな謬論と思う。

(1960,9 岩波新書 2024,5,12 読了)

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