エンゲルス『ドイツ農民戦争』

 1850年に書かれた本だが、民衆運動の歴史を描いた本としての魅力はなくなっていない。

 1848年の革命のあとに書かれているので、ブルジョアジーが革命をいかに裏切ったかという問題意識が貫かれている。
 ブルジョアジーが常にプロレタリアートとの同盟を保ち続けることはありえないが、民主主義的な価値観もまた、ブルジョアジーの重要な属性である。
 革命の中にあったエンゲルスに、さほどに冷静な歴史評価を求めるのは不可能で、本書はまさに「変革の立場に立った歴史」だと言える。

 社会発展史的な歴史学だと、ドイツ農民戦争とは一向一揆の段階なのか、百姓一揆もしくは世直し一揆の段階かと比較類推してみたくなるのだろうが、ドイツと日本とは社会の様相はずいぶん異なるから、そのような比較類推にさほど意味がない。
 それから、「農民」範疇もていねいに分析されておらず、かなりアバウトで、無慈悲な収奪を受けていたという点に対する激しい形容が印象的だ。

 興味深いのは、エンゲルスがルターの裏切り=階級的本質を徹底的に糾弾しているところだった。

 革命的な民衆が自ら行動し始めたとき、ルターは坊主や諸侯と容易に妥協し、民衆の敵として扇動した。
 ルターがめざしていたのは、カトリックの坊主による度を過ぎた贅沢・あまりに理不尽な暴圧を緩和することであって、「農民」民衆が主人公になる世界ではなかった。

 1884年当時の自由党本部は、秩父民衆の闘いに対し、1ミリの支持も与えることをせず、政府と一緒になって闘いを矮小化し、侮蔑した。
 加波山で立ち上がった人々は、ともに闘うことを民衆に呼びかけはしたが、民衆が最も切実に求めていたことを実現しようという発想は1ミリもなかった。
 秩父自由党の一員だった福島敬三でさえ、困民党とともに闘うことを拒否した。
 彼らはルターだった。

 獄中にあった村上泰治は、獄外にいれば秩父事件に参加したか。
 おそらくこのような行動にはかかわらなかっただろう、という証言がある。

 ミュンツァーの役割を演じたのは井上伝蔵だった。
 自由民権思想を理解したうえで負債問題に深くコミットし、巨大な武装蜂起を組織する中心となったのは間違いなく伝蔵だった。

 伝蔵の果たした役割について、「変革の立場に立」ってさらに考察したい。

(1953,11 国民文庫 2024,3,19 読了)

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