やや取りとめなく、明治時代を語った書。歴史研究書ではない。話はあちこちに飛ぶ。
自由民権運動の核心部分とは何だったのだろうか。
稲田雅洋氏は、『自由民権運動の系譜』において、自由民権運動とは言論によってよりよい政体を実現しようとする政治運動だったと規定している。
そのように限定することによって、自由民権運動の果たした積極的な意義(立憲政治・国会の設立など)がを明らかにすることができる。
しかし一方、身命を賭した実力行動によって専制政府を打倒し、それに代わる自由政府の樹立を図った人びともいた。
秩父事件参加者で事件後を生き延びた中には、激化事件を含む民権運動が議会政治、さらには強国日本の礎になったと考えた人もいた。
落合寅市はそのような一人と言えよう。寅市の思いは、十分に伝わってくる。
しかし、彼らがめざしたのは、形としての議会政治、「世界の一等国日本」だったのか。
「圧政を改め自由との世界として人民を安楽ならしむべし」と叫んだ無名の人物のイメージの中にあった「自由の世界」は、単なる立憲政治・議会政治ではなく、人民が安楽に暮らせる世界なのである。
民権派の中には、自由がなければ生きてる意味がないというような言説も存在した。
歴史学と哲学とをごっちゃにするなと叱られそうだが、明治人の求めた自由とは、政府によって与えられる条件付きの「自由」などではまったくなく、サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べたときのような、人間存在そのものの自由、言い換えれば自分が自分であることの自由ではなかったか。
中江兆民も、また本書が紹介している岩田徳義も、帝国議会に絶望した。
それは明治人が希望を託した「自由」とは、あまりにもかけ離れた存在だったからである。