伊藤純郎『満州分村の神話』

 サブタイトルに「大日向村は、こう描かれた」とある。

 南佐久郡大日向村は、十石峠を隔てて群馬県旧楢原村と接する。1884年11月7日に秩父困民党軍が楢原村白井から侵攻し、大日向村に到着した。
 困民党軍はここで富豪を打ち壊し、近隣で参加者を募ったから、この村から秩父事件に参加した人も少なくない。
 しかし大日向村は、秩父事件の舞台としてよりむしろ、満蒙開拓団を出した村として著名である。

 本書は、この村が満蒙開拓団で有名になった背景を明らかにしており、大日向村開拓団とはなんだったのかも、あわせて理解できる。

 結論的に言えば、大日向村開拓団が脚光を浴びたのは、和田伝による小説『大日向村』がきっかけだった。
 大日向村開拓団は、典型的な分村移民として政府・関係機関からその成否を含めて注目されていた。

 和田はこの作品を農民文学として描いたようだが、これが映画化され、演劇化されたことにより、一種のブームになった。
 作者の意図はともかく『大日向村』と関連作品は、疲弊した村を満州へと駆り立てる役割を担った。

 明治初年の大日向村の産業構造はわからないが、おそらく秩父と同様、多様性に富む山村経済から養蚕・製糸業へと急速に転換しつつあったのではないかという展望を持つ。
 そのような傾向が明治期を通して続くなか、土地を持たない人々は薪炭業によって生計を立てていたが、昭和恐慌により養蚕業が破綻すると、多くの人々が現金収入を得るため山に入るようになって、山林が荒廃し、浅川氏が帰村して村政の立て直しを図ったのだった。

 近代における山村にとって養蚕業とはなんだったのか、もっと問われるべきだと思う。

(ISBN978-4-7840-7331-3 C0321 \1300E 2018,6 信濃毎日新聞社 2024,1,21 読了)

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