石川尚興『利根川民権紀行』

 茨城県自由民権運動の周辺に関するエッセイ風の書。

 自由民権運動はなんだったのか、何度も問い返す。

 稲田雅洋氏は、自由民権運動を言論によってよりよい政体を実現しようとする政治運動だったと規定し、そのような運動が憲法制定・国会開設という大きな成果をもたらしたと評価された。
 その見解自体に異論があるわけではないが、自由民権運動をさように狭く捉えることによって、歴史的に評価すべき大切な何かの評価をネグレクトしているのでしないかと感じざるを得ない。
 日本の民衆がどのような近代を迎えたかを、過不足なく評価するのが、歴史学の役割ではなかろうか。

 生きるための闘い・よりよき暮らしを求める闘いは、為政者にそれを求めるだけで実現するものではなく、社会変革によって実現するということを、江戸時代の民衆は知り得なかった。
 そのことがわかったのは、明治以降、主として西洋の人権思想や革命史にふれることがきっかけだった。

 民衆はそのような思想をどのように受けとめたのか。
 思想を理解するには、彼らがそれまでに血肉化していただろう、漢学の知識・通俗道徳・国学的な名分論などといった枠組みを駆使する以外になかったと思われるが、彼らは西洋思想をどのように咀嚼したのだろうか。

 稲田氏のような理解で、思想の深みを理解しうるとは思えない。

 誰かに受けとめられた思想はまた、その人によって深化し、変貌する。
 どこまで、あるいはどのように深化するかは、その人がどれだけ考え続けるかによる。

 本書には、門奈茂次郎・玉水嘉一・玉水常治・落合寅市などがとりあげられ、考察が加えられている。
 それぞれ、興味深い人物である。

 巻末に、落合寅市・門奈茂次郎・大矢正夫の手記が収録されている。
 寅市の手記は史料集に載っているものとほぼ同じだが、異なる部分もある。
 門奈茂次郎の手記は、単なる自己顕示とは異なり、彼が民権運動をどう受けとめ、どう闘ったかが率直に綴られているように思えて、興味深い。

(1972,5 新人物往来社 2023,10,29 読了)

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