大木毅『独ソ戦』

 第二次世界大戦全体の中に独ソ戦を位置づける視点がやや乏しいのだが、戦闘の局面ごとの分析は詳しい。

 ヨーロッパ大陸をほぼ掌握し、連日にわたりイギリスを空爆する段階になって、ナチスドイツは、かねてより戦略の中にあった東方への進出に着手した。
 ドイツにとって重要な食糧と資源は、じつは東に存在したから、今から思えば、この戦争は必然だったと思えるが、独ソ不可侵条約という奇妙な枠組みが、事態を読みにくくさせていた。

 スターリンは間抜けな人間でなかったはずだが、この点については、ヒトラーを信用するしかなく、みごとに裏切られた。
 しかもソ連軍は、伝説的な軍人であるトハチェフスキーを始め、将官・将校の多くを粛清によって失い、弱体化していた。
 ヒトラーにとって、これほどのチャンスはなかった。

 総力戦に突入したヒトラー政権は、ドイツ国内の食糧供給・雇用・物価について、国民へのしわ寄せをなるべく軽減できるよう、注意を払っていた。
 このあたりは、日本とはかなり異なっている。
 しかしそれゆえに、占領地における住民からの収奪は激しかった。

 著者は、戦争を「通常戦争」・「収奪戦争」・「絶滅戦争(世界観戦争)」に分類し、独ソ戦をこの三つの戦争が複合した戦争と特徴づけられる。
 ヒトラーによるこの戦争は、収奪戦争の様相をもって開始された。

 現在のベラルーシ・ウクライナはドイツの穀倉地帯として位置づけられ、カスピ海周辺がドイツのエネルギー供給地となる。
 これにより、巨大で安定的なドイツ帝国を築くのが、独ソ戦の目的だった。

 電撃作戦により、ソ連は大打撃を被った。
 レニングラードを始め、ソ連各地で、兵士・市民の甚大な犠牲を払いつつ、ともかくもソ連は攻撃に耐えた。
 基本的には犠牲をいとわず戦う人海戦だったから、ソ連側の戦略も芳しいものではなかった。

 気候の悪化や補給の困難により、ドイツ側に戦争終結の展望が薄れてくると、戦争は「絶滅戦争」へと変質した。
 日本の十五年戦争と同じ状況である。
 ドイツにとって、戦意継続のより所は、ドイツ・ナショナリズム(とその裏面であるユダヤ蔑視)でしかなかった。

 結果としてスターリンは、ヒトラーの裏切りによって大戦の勝者として生き残ることができたことになる。

(ISBN978-4-00-431785-2 C0222 \860E 2019,7 岩波新書 2023,9,13 読了)

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