不破哲三『スターリン秘史3』

 独ソ不可侵条約(1939.8)から日ソ中立条約(1941.4)に至るファシズムとスターリニズムの暗闘を描く好著。

 独ソ不可侵条約及び秘密議定書は、ソ連とドイツがヨーロッパ分割を目的として締結された。
 この条約は、民族自決とは真逆の思想に貫かれていたから、ディミトロフを始めコミンテルンの幹部にとって、自らの思想性が試される事態だった。
 しかしコミンテルンは結果的に思想を放棄して、スターリンの広報担当に堕する道を選んだ。
 著者はディミトロフに共感的なのだが、彼の果たした重要な役割を評価しつつ、致命的な限界をも直視しなければならない。

 マルクス主義は、精緻な理論構造を持つイデオロギーである。
 ソ連共産党を含め、世界のコミュニストのリーダーと自負していただろうコミンテルン幹部が、理性で考えず、スターリンの邪悪な言動に従って世界の民主主義運動・民族運動破壊に手を貸したのか。
 それを解く鍵はおそらく、共産党の組織論にある。

 1939年9月から10月にかけて、バルト三国がソ連の支配下に入り、翌年併合。
 11月にはフィンランド侵攻(冬戦争)。
 実体のない傀儡政権のトップに据えられたのはコミンテルン役員だったクーシネンだったが、ソ連はフィンランドに撃退され、クーシネンは民族の敵になった。

 この時期から翌年にかけて、不可侵条約に守られたドイツは西部戦線において進撃を続け、ロンドンを始めするイギリス各地を空爆した。
 ヨーロッパはイギリスを除き、ファシズム=スターリニズムによりほぼ制圧され、日独伊三国同盟が結ばれて、大日本帝国も世界分割に名乗りを上げた。

 思えばこの段階で、不可侵条約を裏切るのはヒトラーとスターリンのどっちが先かに目を凝らすべきだったのだろう。
 本書によれば、ヒトラーがソ連打倒の方針を明言したのは、1940年7月31日にヒトラーの山荘で開かれたドイツ軍の首脳会議においてだという。
 この日以降ヒトラーは、独ソ戦の準備および、世界とスターリンを欺くための偽装・謀略に注力することになる。

 そこで愚かな踊りを踊ったのは、ソ連と日本だった。

 1940年11月のベルリン会談(モロトフ-ヒトラー)でヒトラーはソ連に対し三国同盟への参加を提案する。
 結果的にソ連の三国同盟への参加は実現しなかったが、愚かなスターリンはここで、ドイツとの信頼関係をさらに強めた。

 ヒトラーが独ソ戦の本格的な準備に着手する中で、なにも知らない日本は、仏印侵略行動の一環として、1941年4月、日ソ中立条約を結ぶ。
 6月に独ソ戦開始。7月、日本軍が南部仏印に進駐して日米関係の修復が困難になった。

 スターリンはヒトラーに騙され、ソ連国民は未曾有の困難に立たされ、甚大な犠牲を払うことになった。
 騙される素地はスターリンそのものの中にあり、ソ連の領土・勢力範囲を拡大しようという(著者がよく言うところの)大国主義が原因だった。

(ISBN978-4-406-05894-0 C0030 \2000E 2015,5 新日本出版社 2023,9,22 読了)

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