袴田里見『昨日の同志 宮本顕治へ』

 共産党から除名された最高幹部が、洗いざらいをぶちまけた書。
 口述をライターがまとめたのかなと感じさせる部分もある。

 著者が主張したいことは、大きく言って三点だと思われる。

 一つは、1970年代半ばにおける共産党の組織活動のあり方について。
 機関紙拡大を基本路線とするのはよいが、大衆運動を軽視すべきでないと著者は主張する。
 これは現在も言われている問題だが、今は当時より活動量がガタ落ちしているのに、路線は全く変わっていない。

 二つ目は、1933年におきた、いわゆるスパイ査問事件について。
 宮本顕治と共産党は、宮本に締め上げられたスパイが死んだのは特異体質によると主張し、裁判では外傷性ショック死と認定された。
 目撃者である著者は宮本に忖度して、長年沈黙し続けたが、宮本が被害者を強く締め上げたのが死因だと明かしている。
 著者の言い分を素直に読めば、死因は外傷性ショック死という裁判での認定は妥当かと思われる。
 そうすると、今の犯罪名としては業務上過失致死ということになろう。
 著者が問題にしているのは、宮本が自分には何の過失もないと主張しようとして、著者を黙らせるため威圧的な態度を取った点である。

 三つ目は、本書執筆当時共産党中央委員会議長だった野坂参三への評価である。
 野坂参三は、コミンテルンや共産党の指導者だったが、日本政府・アメリカ情報機関・ソ連情報機関のスパイでもあった。
 著者は、戦前以来、野坂の不審な行動を問題にし続けたが、宮本指導部は野坂を重用し続けた。
 この点については結果的に、著者のほうが正しかったということになる。

 ざっと読んでも、宮本が著者と決別し、悪罵のかぎりを投げつけなければならなかった理由がわからない。
 結局のところ、「ウマが合わない」レベルだったと思われる。
 だが「ウマが合わない」ことは、その逆も含めてよくあることで、社会運動がそれにより内部闘争化し分裂に至るなど、児戯に等しい。

 著者の行動がすべて立派だとは思わない(『党とともに歩んで』も読んだが著者の壮語癖は鼻についた)が、共産党側の対応もまた、幼稚すぎた。

(0031-330401-3162 1978,11 新潮社 2023,8,2 読了)

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