不破哲三『スターリン秘史1』

 「ディミトロフ日記」を芯にして、1935年から1938年にかけてソ連とコミンテルンでおきたことをあとづけた好著。

 1933年のドイツ国会議事堂放火事件は、ファシズムの歴史にとって、重要な画期となった。
 この事件以後、ドイツでナチスが権力を掌握し、イタリア・日本とともに膨張政策をとって世界戦争への道作りを開始した。
 ソ連共産党とコミンテルンは、社会民主主義(ブルジョア民主主義者)は本質的にファシストとを同じだという社会ファシズム論を展開し、反ファシズムの立場に立つ勢力を撹乱していた。
 反ファシズムの広範な統一戦線を構築すべきだというディミトロフの主張は、ここではスターリンによって積極的に支持され、ディミトロフはコミンテルンのリーダーとなる。

 ディミトロフ自身は、スターリンに批判的な立場に立つことは一度もなく、スターリンの支持者であり続けたが、1939年の独ソ不可侵条約は、彼が主張し続けた反ファシズム統一戦線理論を破綻に追い込み、第二次世界大戦の開始を告げる狼煙となった。

 ディミトロフ書記長時代の1935年に開かれたコミンテルン第7回大会は、ファシズムに反対する良心を広範に結集しようとする画期的な方針を打ち出した。
 ところが、同じ時期にソ連共産党では、陰惨な内部テロルが展開され、スターリンにとって好ましからざる人びとが片端から殺害されていた。
 粛清の嵐はその後コミンテルンにも及び、ポーランド共産党の解体やコミンテルン指導者の逮捕・殺害が始まった。 

 著者は、スターリンによるテロルの意図について、スターリン個人独裁と領土拡張への衝動が根底にあったのではないかと書かれている。

 本書では、自由な論争を禁じたこと、上意下達式の組織運営などが、スターリン暴虐の思想的基盤をなしたということが示唆されている。
 これらの事実をしっかり学ぶべきだろう。

(ISBN978-4-406-05835-3 C0030 \2000E 2014,11 新日本出版社 2023,8,17 読了)

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